しん・かんかん
http://previous.mindia.jp/book/1205
2024-03-29T01:23:16+09:00
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2010-05-11T22:18:48+09:00
しん・かんかん
キャズム
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
<p>chasm<br /><br />革新的商品やサービスが市場でシェアを拡大する過程で,容易に超えがたい「溝」があるとする理論。顧客層全体を受容時期の早い順から五つの層に分け,このうち 13.5%のアーリー-アダプター(初期採用者)と 34%のアーリー-マジョリティー(前期追随者)の間に,普及を阻む「溝」があると考える。アメリカのマーケティング-コンサルタントのムーア(Geoffrey A. Moore)が 1991 年に提唱。<br /><br /><a href="/book/1205/keyword/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%83%A0" class="auto_link">キャズム</a>を超えた。<br /><br />これが分からず飛びついて失敗することや失敗させるウエがいたりする。私の周りは<a href="/book/1205/keyword/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%83%A0" class="auto_link">キャズム</a>だらけ?</p>
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2010-05-08T23:30:54+09:00
しん・かんかん
韓国のIMF経済危機
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%EF%BC%A9%EF%BC%AD%EF%BC%A6%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8D%B1%E6%A9%9F
<p>1997年のアジア通貨危機のため、韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こった。<br /><br />韓国は国際通貨基金(IMF)の管理下に入り、経済支援を受けた。<br /><br />金大中政権(「朝鮮戦争以来の国難」を受けて発足した野党政権)による、現代財閥の分割や大宇財閥の解体などが行われた。</p>
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2010-05-08T18:42:45+09:00
しん・かんかん
ロジカルシンキング
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
<p>【<a href="http://www.nsspirit-cashf.com/logical/logic_base.html" class="external_link">http://www.nsspirit-cashf.com/logical/logic_base.html</a>】<br />■<a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a>の基本思考<br /><a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a>は、学問上の理論とは異なり、課題の設定から実行可能な対応策の考案、そして実際の行動の管理までの一連のプロセスを経て成果を上げていくのに必要なものです。<br /><br />現代のように過去の理論や経験が通じないことが多々としてある世の中において、<a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a>は必要不可欠なものになっています。<br /><br /><br />■<a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a> 4つの思考スタンス <br /><a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a>には、是非とも心がけたい4つの思考スタンスがあります。それは次のものです。</p><ul><li>仮説思考</li><li>ゼロベース思考</li><li>ポジティブ思考</li><li>結論思考</li></ul><p><br />重要なのは、破綻するかどうかを議論するだけでなく、破綻しないためにはどうするか?我々一人ひとりはどう行動するべきなのか?という視点で考えていく必要があると思います<br /><br /> <br />【<a href="http://japan.cnet.com/blog/hirano/2010/05/08/entry_27039738/?ref=rss" class="external_link">http://japan.cnet.com/blog/hirano/2010/05/08/entry_27039738/...</a>】<br />これからは、IT 経営 <a href="/book/1205/keyword/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0" class="auto_link">ロジカルシンキング</a> 語学をしっかりと理解した人材、はじめからグローバルの視点で考えられる人材の育成が急務でしょう</p>
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2010-05-03T17:34:49+09:00
しん・かんかん
六次の隔たり
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E3%81%AE%E9%9A%94%E3%81%9F%E3%82%8A
<p>Six Degrees of Separation<br />社会心理学者のスタンレー・ミルグラムによる仮説。<br /><br />知り合いから知り合いへ人のつながりをたどっていくと、6回のつながりで世界の全ての人に行き着き間接的に知り合いなるこことができるというもの。<br />多くの人数からなる世界が比較的少ない人数を介して繋がるスモール・ワールド現象の一例とされる。<br /><br />SNSに代表されるいくつかのネットワークサービスはこの仮説が下地になっている。SNSのGreeはこの仮説に基づき、Degreeの後半をとってネーミング。<br /><br />【Wikipediaより】<br />そうか44の6乗は世界人口よりも多いのか。<br /><br />先日、知人のセガレが北京と上海に遊びに行った。<br />飲み屋に4人居合わせたが、1人が北京に知り合いがいた。別の1人は知人の家族が上海にいることを知っていた。<br />早速セガレに紹介したところ、彼はそれぞれの地で彼らに会い、街を案内してもらった。<br />なるほど<a href="/book/1205/keyword/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E3%81%AE%E9%9A%94%E3%81%9F%E3%82%8A" class="auto_link">六次の隔たり</a>はありえそうだ。</p>
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2010-05-03T00:06:01+09:00
しん・かんかん
島田伝衛門
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E4%BC%9D%E8%A1%9B%E9%96%80
<p>幕末土佐。<br />庄屋の島田が田畑の引水を独り占め。<br />これに腹を立てた岩崎弥太郎の父、弥次郎が直談判に行ったが暴行を受ける。<br />弥太郎はこの知らせを受け、江戸から僅か16日で土佐へ帰郷。<br />奉行所に行くが全く取り合って貰えない。<br /><br />ならばと弥太郎は龍馬とともに蟄居中の土佐藩参政吉田東洋に談判に赴く。<br /><br />弥太郎<br />「先日私どもの村で諍いがございました。 庄屋の<a href="/book/1205/keyword/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E4%BC%9D%E8%A1%9B%E9%96%80" class="auto_link">島田伝衛門</a>が、川の水を自分らの田んぼに引き込んで独り占めにしたがでございます。<br />その事に異議を唱えた私の父弥次郎が庄屋達から殴る蹴るの乱暴を受け、生死の境を彷徨う程の大怪我を負うたがでございます。 けんど、安芸奉行様は父が悪いと決めつけ庄屋は咎め無しという不当な裁きを下されたがです!」<br />龍馬<br />「その裏には不正があったがでございます。 安芸奉行様はかねてより庄屋から金品を受け取っちゅうに、故に、あのような不正な捌きを!」<br /><br />藩主の親戚松下嘉平は日頃より酒癖が悪いが誰も注意しない。それを東洋だけは許さず藩主の前で松下を殴りつけた。<br />この東洋の正義を弥太郎らは期待したのであった。<br />その時の東洋のセリフがものすごい。<br /><br />弥太郎<br />「職を解かれる事を御覚悟の上で無礼をお許しにならなかった吉田様であったらきっとわしらの無念を分かって下さると!」<br />東洋<br />「黙れ!わしは殴ってもええがじゃ、天才じゃき。<br />そのうちわしはまた参政に返り咲く。<br />わしがいかに有能がか、お殿様は分かっておられるきのう。<br />そんな人間は何をしてもええがじゃ!<br />岩崎弥太郎! おぬしは何を持っちう?坂本龍馬! 下士に何が出来る?<br />何の力もない者は、黙っちおるしか仕方が無いがじゃ。<br />それが世の中ぜよ。」<br /><br />【龍馬伝第8回】</p>
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2010-05-02T23:47:19+09:00
しん・かんかん
島田組
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B5%84
<p>江戸中期から明治初年の京都の富商。屋号蛭子(えびす)屋。<br />幕府の為替御用を務めたが,明治維新には新政府の財政確立に貢献,三井・小野両組とともに為替方となり,諸県の為替方も兼ねる。<br /><br />代々京都で呉服商,両替商をいとなみ,<a href="/book/1205/keyword/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E7%B5%84" class="auto_link">島田組</a>を名のる。<br />三井組,<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>とともに明治新政府の財政確立のために莫大(ばくだい)な資金を調達し,のち官金出納をあつかう。<br /><br />明治7年為替方抵当の増額改正が原因で<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>とともに破産した。<br /><br />【(株)日立システムアンドサービス『百科事典マイペディア』から】</p>
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2010-05-02T23:41:21+09:00
しん・かんかん
小野組
http://previous.mindia.jp/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84
<p>【Wikipedeiaの再編集】<br /><br />江戸時代の豪商「井筒屋」。<br />江州大溝出身の、近江商人。<br />南部氏盛岡藩に招かれて活躍。<br /><br />京や大坂など上方の下り物を扱い、奥州の産金などとの物流を通じて財を成し、のちには明治政府樹立のための資金を援助するなどして、政府為替方としての確固たる地位を固めた。<br /><br />明治3年(1870年)、小野屋が本社機能を京都から江戸へ移そうとしたところ、京都府権大参事の槙村正直によって制限を受けた。<br />この制限により業務は支障をきたすようになり、分家三社と合併、<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>と名称を変える。<br /><br />明治6年4月に<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>は京都府庁へ転籍を申し出る。<br />京都府庁はその届出を処理しなかった。<br /><a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>は当時、すでに全国28の支店を持つ大商人であり、租税収入の減少と献納金の喪失は京都府には受け入れがたかった。<br /><br />京都裁判所に「送籍命令」を出すよう訴えた。<br />しかし、京都裁判所は京都府への遠慮から、訴訟を受け取りながら裁判を行おうとはしなかった。<br />司法卿江藤新平は京都府行政と司法の癒着に激怒。担当の裁判官は更迭、代わって派遣された北畠治房は<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>の戸籍送付を命令したが問題は解決しなかった。<br />当時、京都府および知事長谷信篤、大参事槇村正直は命令に対して、政府に伺いをたてている途中だからと裁判所の命令に服そうとはしなかった。京都裁判所はこの京都府の対応を見て、受け入れを迫るとともに命令に服さない場合は六円の賠償金を知事と大参事に納付するよう命じる。<br />それでもなお、京都府は速やかな対応を拒否。<br />征韓論を巡る一連の事件によって江藤新平が下野すると事態はますます膠着状態に陥りつつあった。<br />法を無視した京都府の対応に、文部卿木戸孝允は知事長谷信篤に裁判所の命令に従うよう説得を始めた。<br />知事へ対して懲役100日もしくは贖罪金40円、大参事に対しては懲役100日もしくは贖罪金30円という命令を下し、両者がこれを守らないと見るや、大参事槇村正直が東京に出た機に身柄を拘束、収監に至った。知事長谷信篤は司法の強硬な手法に動揺。ついに木戸の説得を受け入れ、翌明治7年、ようやく送籍手続きがとられた。<br /><br />明治5年(1872年)、渋沢栄一の仲介によって、三井組と共同で「三井<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>合銀行」(第一国立銀行の前身、現在のみずほ銀行)を設立するが、三井組は独自に金融機関(三井銀行の前身、現在の三井住友銀行ほか)を設立、三井組は規模を拡大したが、<a href="/book/1205/keyword/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%B5%84" class="auto_link">小野組</a>は担保額の引き上げなどの一方的な金融政策の急変によって破産した。</p>