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チームワークの履歴

素晴らしいもの。
独りでは決して創り上げられないことを実現できる。
あのApple製品だってジョブズ独りじゃ作れない。

ただ、最近思ってるのはこのチームワークという言葉を使って、他人の力を最初からあてにしてることが往々にしてあるんじゃないかということ。それはどうなのか、と正直思う。

ちょっとまだ整理できてないんだけど。

何かやりたいことがある。でも自分ではできない、じゃああの人に頼んでやってもらおう。
一見正しい気はする。それが資本主義の構造でもある。

だけど、本当にそれはあなたにできない?
頼まれる側も同じ人間、じゃああなたにもできるようになるんじゃないの?
断られたらどうするの?

ヤン・ウェンリー曰く、専制政治の良くないところは、政治の失敗を他人のせいに出来るところ。民主政治は確かにすぐ腐敗するけれど、選んだ側にも責任がある、完全に他人のせいにはできない。

何か自分がやりたいことを人に頼んだら、失敗した時誰かのせいにできる部分ができちゃう。
アイディアが悪かったんじゃない、ソフトウェアが悪かったんだ、プロモーションが悪かったんだ、デザインが悪かったんだ…。

そもそも人生においてやりたいことなんて100人いれば100通り、ある程度同じ方向は見れるけど、決して一致はしない。
その人にはその人のやりたいことがある。
本当の意味でモチベーションを保てるのはそのアイディアを出した本人のみ。

頼むのは良い。頼んだ人が間に合わなかったら、できたものが気に入らなかったら、死ぬ気で他の人を探しだして来て、完成まで持っていける。っていうか最悪自分でやってやるぜ、ぐらいの気持ちはあるのか。
もし皆に断られたら、じゃあいいやってなるぐらいなら、それは本当にやりたいことなのか。

当然、全員が全てのことを自分の力でやるべきとは思わない。
僕自身、人に助けてもらわないとどうしようもないし、役に立つなら助けてあげたい。そういう感情はもちろんある。

でも何かを始める、という選択を取る人にはそういう責任があるんじゃないか。

みたいなことを考えて、今年からは個人的なプロダクトについて、今まで他人に任せてた部分(デザインとか、ネイティブアプリとかね)も自分でやろうとしてる。
というか今までは自分で実装できる範囲のアイディアしか考えてなかった。
でも僕がやりたいと考えることなんて、たかがソフトウェア開発なので、大規模クラウドサービスを提供するんじゃなければ独りでできるはず。

http://pinboard.in/ が良い例。

Prove your idea by "your" code!
証明しろ、自分の手で。



上では理屈を並べてみたけど、単純に何か始める時、「じゃあ皆でやろうぜ!」っていうのが気に喰わないだけなのかも。
リア充的発想、連れションか、と。てめぇのケツはてめぇで拭きやがれ。

んで本当に自分の力でどうしようもなくなった時に助けを求めろよ。頑張った人には皆優しい。

まぁ上で考えたこと自分でいろいろやるモチベーションになってるのでまぁいいか。