阿部道浩の【思いつくままに】百科
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大学時代

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とりあえず、大学を卒業してや社会人なので、大学時代を振り返ろうかな、と。
かなり赤裸々に、書けるだけ詳しく長く書こうかと思う。30分くらい書こうかな。

まず、大学入学。
俺は本当は他の大学に入りたかったから、はっきり言ってめちゃくちゃテンション低かった。大学入って遊ぼうなんてかけらも思っていなかった。こんだけ有名な大学に入るんだから、みんな俺の100倍くらい頭いいんだろうって思ってたし、私立大学だからみんな超お金持ちに違いないと思っていたので、そもそも友達なんて出来ないだろうと思っていた。
入学式の時に斜め後ろでしゃべっている奴らがいて、そいつらのせいで学長の話とかが聞こえなかったから、「うるせーよ」って言ってやったことは覚えてる。その日は懐にヘルマン・ヘッセの『車輪の下』っていう本を忍ばせていたので、入学式が終わったら一人で会場に残ってちょっと読んだ。
新入生の勧誘で入口付近は大変な賑わいを見せていたが、俺は先述したとおりやる気なかったのですぐ帰った。というか俺が暗すぎて誰も勧誘してくれなかった。徒歩で帰り、本を読んだんだと思う。
二日目でやっと俺にもお声がかかった。俺はチアリーダー部のパフォーマンスを見て「若い子が太ももを晒すなどはしたない。」なんて未成年とは思えないようなことを頭の中で思っていた。そしたら合唱サークルの4年生が声をかけてきて、部室に連れ込んで俺を勧誘した。特に行く宛も無かったので、その日はそのまま飲みに行った。それが大変な騒ぎになって、俺はゲロゲロに吐いた。一軒目でひたすら飲み、二軒目のカラオケではゲロゲロだった。俺は泣いて詫び、自転車で帰ろうとしたがあやうく車に轢かれるところだったので、自転車を引いて帰った。
三日目、サークルの部長からお電話が掛かってきた。あれほど迷惑をかけたのに、また飲みに来ていいと言うのである。俺はその懐の深さに恐れ入ってそのまま飲みに行き、そのままそのサークルに入った。合唱なんて全く興味無かったが、とりあえず日本女子大学という女子大とインカレだったので、さすがにここなら俺にも彼女が出来るだろうという目論見だった。俺はそれまで彼女がいなかったので、その劣等感を早く払拭したかった。
初め2ヶ月くらいは無茶な飲みというのが好きだったが、しかし2ヶ月で飽きた。お金払って気持ち悪い思いして、何も得られないということを悟った。このままでは体を壊すな、と思った。結局、そのサークルは夏以降行かなくなった。
行かなくなった理由は他にもある。そのサークルの先輩の紹介で、近くの学習塾の講師のアルバイトを始めたからだ。初めてのアルバイトだった。俺は一浪していて、代ゼミで授業を受けていたので、俺も荻野暢也や元井太郎のような授業をしようと思っていたが、相手は小学生や中学生なので無理だった。事実、模擬授業で落とされた。落とされるのは非常に稀なので、俺はその時挫折を味わった。
7月の初旬から授業を始めた。初めての授業は、確か小2と小3だった。土曜日の枠で、非常に少人数だった。しかし、小2とか小3の授業はひどくつまらなかった。教える意味の無いくらい自明なものを問題に出しているので、俺は早く長年の受験勉強で培った受験テクニックを披露したいと思っていた。
しかし授業は基本的に楽しかった。全然働いているという感覚が無かった。遊びに行って大金を貰っているような感覚だった。授業をするのが楽しくて仕方なかったし、たくさん授業をすればするほど授業が上手になると思っていたので、他の人の代講なども積極的に受けた。仕事って楽しーって心の底から思っていた。その頃、俺はバブルの絶頂期だったので、お昼で学食に1000円とか平気で使っていた。の俺のお昼はカレールーだけなので100円ちょっとである。えらい違いである。
とにかく俺は授業をやりまくり、荒稼ぎした。自分が必要とされているという感覚が、俺の魂に火をつけたのかもしれない。
さて、大学で友達は出来ていたのかといえば、一応出来ていた。俺の学部は外国語ごとにクラスを編成していたので、そのクラスで仲良くなった。言語は2個選べるのだが、一般的には英語と第二外国語を取るところ、俺はあえてフランス語とドイツ語を選択した。英語は受験中にそりゃあもう勉強したので、別に出来はしないが勉強くらいなら自力で出来るだろうと思った次第である。更に日吉には外国語なんとかセンターというのがあり、そこでも英語が学べるというであればわざわざ必修で取る必要なんてなかった。
まあ色々話したが、つまり大学一年の頃に俺はフランス語とドイツ語、二つのクラスに入っていた。それじゃあ二倍面白かったのかといえば、何故かドイツ語のクラスは全然盛り上がらず、逆にフランス語のクラスは非常に仲良くなった。大学にこんな仲いいクラスがあっていいのかというくらいだった。俺は本が好きな社交性の無い人間だったが、しかし考えれば俺よりもっと社交性の無い人間ってたくさんいたなって思った、俺のクラスに。まあ、その人たちは他のサークルなりの人間関係を重視していたのだろう。
まあ結論として、俺はフランス語のクラスの方で長い付き合いを作ることができた。でも親交が深いのはこの友達だ。そう、このクラスで仲の良い人同士でサークルを作ろうということが巻き起こった。フットサルサークルを作ろうと言うのである。俺はあまり乗り気じゃなかった。作ろうとしていたメンバーというのは申し分なかったが、何分俺はサッカーなんてできなかった。というよりも、団体の球技が非常に苦手で、こればかりは性格だからもうどうしようも無いものだと思っている。

大学一年の後半になったら、塾講師ばかりをやっていた。それしか思い出が無いくらいだ。夜の10時くらいまで毎日授業をして、それから友達の家に行くこともしばしばだった。さっき言ったフランス語のクラスの友達が日吉駅のすぐ近くに引っ越したこともあり、俺たちはよくそこで溜まった。俺たちは居場所を求めていたのかもしれない。というか、溜まれる場所があるということは安心だった。
俺は毎日スーツで授業に出た。塾講師をやっていたからだ。周りからは、まるで就活生のようだね、と言われた。
俺はこれくらいの時期から、よく本を読むようになった。本を沢山読むことが正義であると考え始めた。いや、本を読んでいたのは大学入ってからすぐだったろうか、とりあえず哲学書などをよく読んでいた。俺にはその当時非常に強い劣等感があって、とにかく本を読んで知識を蓄えなければならないと思っていた。哲学をするつもりで文学部に来たのに、哲学のことを何も知らない。文学部だというのに、名著というものをほとんど読んでいない。俺はドストエフスキーすら読んだことがなかった。だから、高校の頃に配られた国語の資料集をもとに、有名な文学書を読み始めた。何を読んだかまではよく覚えていない。日本、そして世界の名著。数は膨大にあったから、次々読みまくるしか無かった。自分は曲がりなりにも文学部だ、そう思いたかった。
そしてその価値観を、他人にも強要していたのかもしれない。俺はどれだけ本を読んでいるかというのが、その人の価値を決定するかのような錯覚に陥っていた。本を読まない人は駄目だ、そのように考えていた。

大学二年くらいから書くのが面倒くさくなった。もういいか。

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