加齢に伴う体力要素の重複の履歴
これは、面白い現象。
原因について考えると、いろいろ思い当たることがある。
これは、青年期には、運動の種類や計測によってに得意、不得意があるが、年令を重ねるにつれて、すべての運動能力が高い人と、すべての運動能力が低い人に分かれていく傾向にあること。
運動能力には、平衡感覚、筋力、柔軟性、反応性など幾つかの種類がある。
通常、幼児期には、たとえば、平衡感覚と柔軟性、柔軟性と筋力といった、それぞれの能力は、互いに強く相関している。つまり、いずれかの運動能力が高ければ、すべての運動能力が高い傾向にある。
たとえば、筋肉の力は強いが柔軟性に欠けるとかいうふうに、いずれか一つだけの能力が高く、他はダメとかいう幼児は少ない。多くの幼児は、すべての運動能力が高いか、すべての運動能力が低いか、どちらかになる。この、運動能力の全体的な高さは、親の運動能力に強く相関していることが知られており、遺伝的な要素が強いと考えられている。
これが、思春期から青年期に近づくと、スポーツなど、本人が好む活動の種類に応じて、平衡感覚だけはすぐれているけれど筋力は低いとかといったような、得意・不得意が現れてくる。結果として、種目にも得意不得意が出てくるのかな。サッカーは得意だけれど水泳は苦手、とかね。これを、体力要素の分化、という。
しかし、青年期を過ぎ、高齢になるにつれ、ふたたび、人の運動能力は互いに強く相関するようになってくる。
つまり、中年以降の人には、筋力は優れているが柔軟性はないとか、サッカーは得意だがテニスは不得意といったような、そういう得意不得意はみられなくなってくる。多くの人は、サッカーも水泳もテニスもできないおじさんと、どれもできるおじさんに分かれてしまうのだ。これを、体力要素の脱分化、あるいは、加齢に伴う体力要素の重複、と呼ぶ。ちなみに、中年以降の、運動能力の全体的な高さは、親や兄弟の運動能力にそれほど強くは相関しないことが知られている。
なぜ、このような現象が生じるのかはよくわかっていない。しかし、身の回りを見ていると、なんとなく、納得させられてしまう話しである。
ちなみに、運動能力以外の、たとえば、計算力や記憶力などでも、同様の傾向が見られるそうである。