スピリチュアルケアの履歴
臨地実習から
スピリチュアリティな痛みは、死を意識した時に感じる痛み
人との関わりの中で変化を起こすことが
スピリチュアルケア
ケアする者
- 自分のスピリチュアリティと向き合い続けること
- 価値を置くものを大切にし続ける
- 相手にとっての大切なもの、価値あるものを
自分が価値あるものを大切にするように、
大切なものを持っている存在として関わる
スピリチュアルとは
各自が持つ「超越性」への応答パターン
「絶対他者」との関係性
パーソナリティと平衡する
この場合、パーソナリティを「現実性」
実生活における他者、社会へのその人の対応パターン
アイデンティティ
「スピリチュアル」:気ままに神から吹く息吹に向ける私たちの表情
「パーソナリティ」:ペルソナ=仮面
両者の不安定さの中で、人は危機をチャンスとして認識しながら、生きる
原罪
「スピリチュアリティを発揮したがらない何かが人にはある」という理解
吹いてくる風を向かず、得体の知れない方向を向く。「的外れ」
宗教との関係
(信仰は宗教じゃない!との批判もあるけど。。。)
分析的な言語では表現しきれないこの「超越性」を表現しようとする、
人間の営み
表現しきれないものを、「ことば」を使って表現しようとした
だから、仏教、キリスト教、神道、ヒンドゥー教、多様に生まれた
まるで言語みたいに。
言語運用能力にあたるのが、「スピリチュアリティ」
個別の言語の使い方を磨くこと自体が、重要である。
なぜならば、超越性を理解しようと努めることと、宗教を理解しようとすることは切り離せないから
「聖卓上のパンが聖なるものであるならば、世界中のすべてのパンが聖なるものである。しかし、この聖卓上のパンが聖なるものであることが分からない者には、世界中のパンが聖なるものであること自体が理解できない」
スピリチュアルケア
その人が持つスピリチュアルな対応を共感的理解することを通して、
その人が超越的なものをどのように解釈するのか、その構造に気づくこと
を手伝う
聴いてもらうことによって、スピリチュアリティは覚醒する
「その人の船に乗って、風の吹くままに、一緒に旅をする」
ケアする者
自分が拠って立つところ、自分のスピリチュアリティを養っている何かに
精通していること。
キリスト教のスピリチュアルケア
1 インマヌエルである神
相手のところにすでにいるイエス様が、そこで何を起こしているのか拝見しに行く。相手の言語を聴きに行く。
2 距離を保ちながら共感する
巻き込まれず、共感する。一緒に十字架にかかる。
3 小さな死と小さな蘇り
クリスチャンはしょっちゅう死んでいる。
過ぎ去ろうとしているもの、起きてしまったことをしっかり見つめ、
失ったものを十分嘆き、
新たに与えられているものに感謝する
大きな死への準備となる
ティーチャブル・モーメント?
「存在が揺るがされている状況にある患者が一番教えやすい、伝道し易い」
という考え方。
しかし、「弱みにつけこむな」という批判がある
スピリチュアルケアは相手の言語の理解と表現に耳を傾けること。
教え、伝道が目的ではない。
相手にとって自分の持つ母国語が今必要なのか
相手を支えていたのかを、
多くの医療者・関係者からのフィードバックやアドバイスに耳を傾ける
参考文献