受動意識仮説の履歴
人の「意識」とは、心の中心にあってすべてをコントロールしているものではなく、人の心の「無意識」の部分がやったことを、錯覚のように、あとで把握するための装置に過ぎない。自分で決断したと思っていた充実した意思決定も、自然の美しさや幸せを実感するかけがえのない「意識」の働きも、みんなあとで感じている錯覚に過ぎない。そしてその目的は、エピソードを記憶するためである。
http://www.keiomcc.net/terakoya/2006/11/report45.html
http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/
な、なんだってー!!
それにしてもこの考え方、仏教っぽい。