三国志の履歴
後漢王朝の崩壊後に成立した3つの王朝の成立から滅亡までを書いた歴史の本。もしくは、その時代の歴史に材料をとった小説。三国志演義。
戦争の描かれ方の変化
三国志は、その大部分が戦争、つまり、軍隊と軍隊の衝突を描いている。しかし、作品の前半と後半では、戦争の描写が大きく異なる。
前半
概ね、劉備一行の荊州入り前後までは、ほとんどの戦争は、敵味方ともに、腕っ節の強い剛の者が活躍しているイメージがある。例えば、呂布であったり関羽であったりといった腕っ節の強い英雄が突撃して、一騎打ちを挑み、その成否が戦争全体の行方を決定しているように見える。これは、戦場がそれほど大きくなかったこともあるだろうし、軍隊自体も小規模であったのだろうと思われる。
後半
後半、特に蜀による北伐などで顕著であるが、いわゆる「剛の者」の活躍に代わって、敵味方の総大将と幕僚たちのたてる複雑な作戦の成否が戦争の行方をほぼ決してしまうイメージがある。戦争自体が大規模になり、各師団に与えられる命令も複雑なものになっていったのだろうか。
情報革命としての三国時代(魏晋情報革命)
紙の発明
紙の発明は、後漢の蔡倫によるが、紙が量産されるに至ったのは、後漢末から三国初にかけてである。紙が量産されたことではじめて、軍隊の命令書も、牛車に乗せた木簡竹簡ではなく、騎馬が運ぶ紙で伝えられるようになった。ということだそうな。
軍隊の規模と命令系統の変化
このことではじめて、大規模な軍隊の動員と複雑な命令が可能になった。軍師のたてる作戦というものの意味がこれまでより遥かに重くなり、軍隊の中での各職能の序列にも影響を与えることになっていく。
文学の成立
また、軍隊の指揮官や行幸する王たちが紙を持ち歩くことができるようになったことで、はじめて、中国では政治家が漢詩を詠むという文化が成立する。いわゆる建安文学である。
貴族の成立
また、多くの政治家や文化人が個人的に手紙をやり取りする習慣ができたのもこの時代からということである。この結果、文化人や政治家の間の人脈はこれまで以上に複雑なネットワークになり、社会の上層での人脈の重要性は飛躍的に高まった。この結果、このネットワークに参加できる階層、すなわち、「名士」とよばれる新たな階層が誕生する。
この名士階層の人脈は世襲され、やがて、南北朝から隋唐時代にかけて、あらたな階級「貴族」を生み出すことになる。
貴族文化の誕生である。