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受けてきた教育と今の事業のリンク

今日の日記は最後まで読むともしかするとほんのちょっぴり怖くなるかもしれません。

でも自分のことではありません。


僕は今日この結論に気付いたときに、「やべ…面白すぎる…」という印象と同時に、「でも…ちょっと怖いな…笑」とも思いました。

なんていうか、【教育】の影響力の大きさに畏怖を感じた、という感じです。






先日、知的障がいを持つ息子さんがおられるお母さんのお話を聴きました。
鈴木さんという方です。(この話については、また後ほど書きます。)
その方は、大阪で、「共に学び、共に生きる教育」を残す活動をされています。

今日、その方の書かれた文章をががががが~と読みました。


鈴木さんのお話でとても印象的だったのは、

息子さんが
「友達の名前からひらがなを学び、友達との牛乳キャップゲームから数を学んだ」

ということです。

このお話に関してはとても興味深い視座が得られるので、後ほどゆっくり熱く語ります。







今日、モンテッソーリ教育を日本に先進的に取り入れた方の書かれている文章をががががが~と読みました。
来週、火曜日、モンテッソーリ園にお子さんを通わせているあるお母様の計らいで、その園長にお会いさせていただけることになりました。
今からとても楽しみです。





今日はこの2つの文章を読み比べていたんですが、僕にとっては、どうもほとんど同じことが書いてあるような気がしてなりませんでした。

ちなみに、西川教授の『学び合い』に関するブログ、本間正人さんの提唱する「学習学」に関する記述も、今日の2つの文章と同じことが書いてあるような気がしてなりません。




  • 西川純教授が研究し提唱している『学び合い

  • 大阪にあった「共に学び、共に生きる教育」

  • モンテッソーリ教育

  • 本間正人さんが提唱している「学習学」





これらに共通しているのは

  • 子どもは、「自らの力で学ぶ」という前提。

  • 子どもは、子ども達の世界の中で「学び合う」ということ。

  • 子ども達の集団は多様性を前提としていること。

  • 教育者の主たる役割は、「環境を整備する」であること。



(和歌山県にある「きのくに子どもの村学園」もこれと近いところがあるかな)




僕自身は、今、この4つの教育に注目しています。

そして、これらの教育の認知度がもっと高まるといいなと思っています。

なぜなら、これからの時代に必要だと思うからです。その理由は本能、直観です。




ちなみに来週は自分の中では<モンテッソーリ週間>です。



簡単にモンテッソーリ教育について説明すると…


wikipedeiaより抜粋

常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。
どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。
また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。
モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子供たちの「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。


要約すると…

  • 子どもの自発性を重んじる
  • 子どもが自由になれる環境を整備することが大人の役割
  • 子どもの好奇心を大切にし、さまざまな能力の獲得にはそれぞれ最適な時期があり、教師が教え込まない。



というところに特徴があるのではないでしょうか。




で、以前にも書いたことがありますが、モンテッソーリ教育のもたらした結果として面白いのが…


<モンテッソーリ教育を受けた有名人>

Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)
googleの共同創立者サーゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ページ(Larry Page)
wikipedia創設者ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)


という事実があります。



Amazon・Google・wikipediaの共通項は…



product+consumer=prosumer を重視しているということ (引用:おかやんの日記)


Amazon・Google・wikipediaをそれぞれ思い出してもらえると分かると思うのですが、これらの企業はコンテンツではなく、環境を創っています。


(Googleは検索エンジンを創ることによって人々が知識を自ら獲得できる環境を創っている)
(yahooやmsnにはトップページにいくつか「コンテンツ」がありますが、Googleには検索窓しかありませんね…)


こprosumerを考え方の中心にしているれらの企業は…

【中身(コンテンツ)を創るのは消費者自身で、そのための最適な環境を企業が創っていくという手法をとっています。】


で、これはこういう風に当てはまります。


モンテッソーリ教育は…

【学習(知識や知恵)を創るのは子ども達自身で、そのための最適な環境を大人が創っていくという考え方に基づいています。】


これ、僕の中では完全にリンクしています。
(この感覚を「着想」というそうです)





さて。

今日の日記にも関連して、告知です。


CORE+で、6月14日に、【EDU★COLLE 2009― 多様な教育の博覧会 ―】というイベントを行います。

このイベントを簡単に説明すると…


<告知文一部抜粋>

EDU★COLLEは子どもたちと、教育に関心・思いのある
すべての人のためのイベント。
先駆的な実践・取り組みをしている
学校やNPO、企業、学生団体などが多数ブース出展!

フリースクールやユニークな取り組みをしている私学の紹介あり、
公立校教員による実践報告・対談あり、
保護者・教員・学生・子どもの交流コーナーあり、
子ども向けの体験コーナー、ワークショップありと多彩な内容です。



詳しい情報はこちらをご覧ください。
http://core-plus.giving.officelive.com/dantai.aspx




このイベントの出展団体は、『自然』・『地域』・『繋がり』・『主体性』といった点において、モンテッソーリや『学び合い』や学習学とも共通点をもっていると感じています。


そしてこの【EDU★COLLE 2009― 多様な教育の博覧会 ―】というイベントそれ自体も、prosumerを考え方の中心にしています。


主催しているCORE+は、中身(コンテンツ)を創るわけではありません。

それぞれ中身を持っている学校やNPOを集め、それらの情報に触れることができる環境を整備しています。

中でどのような学びがあるか、出展者と参加者の間でどのような化学反応があるかは、参加者自身に委ねられ、参加者自身が創りあげます。


さっきのをまた当てはめると…

【学習(知識や知恵)を創るのは参加者のみなさん自身で、そのための最適な環境をCORE+が創っていくという考え方に基づいています。】


ね?



で、このイベントの統括をしているのは…

異学年混在・活動による学び・環境の整備を重視という点においてモンテッソーリ教育と共通した部分を多くもつ和歌山県のきのくに子どもの村学園の卒業生です。




















で、僕は今この事実に気づき、共通項が見えすぎて、「やべ…面白すぎる…」という印象と同時に、「でも…ちょっと怖いな…笑」とも思いました。



この面白さと怖さ、分かってもらえるかなぁ~?







mindiaも、同じですね。


にしこくん、お心当たりはありませぬか?笑





イベント自体はとても面白いので、是非きてね!!!

 

クラスの友達が先生

学び合い』が西日本新聞の記事にでてました。



以下、URL

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/57943




 佐賀県の佐城教育事務所が管内(佐賀、多久、小城市)の小中学校で昨秋から取り組む「学び合い」授業が、学力や人間関係の向上に一定の成果を挙げている。子ども同士が教え合い、先生は原則何も教えず、課題設定と理解度のチェックに徹するスタイル。同事務所によると、学び合いの組織的な取り組みは九州でも初めてという。その教室をのぞいてみると‐。


 「約分するところがあるから、よく見て」

 「うん。多分できる」

 佐賀市巨勢町の巨勢小6年1組。算数の授業が始まった。担任の松田圭司教諭(34)は、学習目標として「分数÷分数の計算をみんな解くことができる」とだけ黒板に書いた。児童39人は4、5人のグループに分かれ教科書の問題を解き始めた。

 すらすら解き進む子もいれば、手が止まったままの子も。苦戦する子に理解度の進んだ子がそっと近づいて助言する。松田教諭は教室を回り、理解度を確認するだけだ。黒板に文字を書き足すことはなかった。

   ÷   ÷

 「教えるのをやめることは苦しかった」と、松田教諭は授業を始めたころを振り返る。「でも、教師の出番を少なくすることが、児童のかかわり合いを生んだ」とも。

 この一風変わった授業の仕掛け人は同事務所の桜井俊史所長。学力低下や不登校などの解決策を模索する中で、上越教育大の西川純教授が提唱する「学び合い」授業に出合ったという。

 「教師が教えないで授業が成り立つのか」。半信半疑で実践授業をのぞくと、「子どもの表情は生き生きとし、とても意欲的だった」(桜井所長)。管内の小中学校から20人の教諭を選び、昨年11月、実践を持ち掛けた。教諭たちからは「教師の仕事放棄では」「塾に行っている子を利用している気がする」などの声も出たが、現在も約10人が継続中。保護者の苦情はないという。

   ÷   ÷

 松田教諭のクラスでは2学期に入り、算数の単元末テストで初めて全員が80点を超えた。松田教諭は「常にだれかがその子にかかわっていて、学力が低い子も置き去りにならずに済んでいる」と手応えを語る。

 子どもたちの評判も上々だ。森大地君(12)は「みんなで答えを導き出すと、いろんな意見が出て面白い」。古川怜奈さん(11)は「普段あまり話さない子とも話すようになった」と喜ぶ。

 学び合いの先進地・愛知県犬山市で教育委員を務めた名古屋大大学院の中嶋哲彦教授(教育行政学)は「教師は子どもたちがどんな学び合いをしているか、陰から十分な注意を払う必要がある。学級規模を小さくするなどの条件整備も大切だ」と助言する。

 6年1組の教室前に児童が感謝する人にあてたカードが張ってあり、こんな言葉があふれていた。「学び合い、一緒にしてくれてありがとう」

=2008/11/06付 西日本新聞夕刊=




ただ、いくつか注文をつけると…


>学び合いの先進地・愛知県犬山市

厳密には、西川純教授の『学び合い』と愛知県犬山市の「学び合い」は考え方が違うのになー。


犬山市の「学び合い」は佐藤学教授の「学びの共同体」。


例えるならgoogleとマイクロソフトくらい違いがある。



>名古屋大大学院の中嶋哲彦教授(教育行政学)は「教師は子どもたちがどんな学び合いをしているか、陰から十分な注意を払う必要がある。学級規模を小さくするなどの条件整備も大切だ」と助言する。


>学級規模を小さくするなどの条件整備も大切だ」と助言する。

学び合い』では、例えば5年生と6年生だとか、異学年で構成する条件整備の方が有効で、学級規模を小さくすることは有効ではない。

基本的に、『学び合う』文化ができれば学級規模はある程度大きいほうが、「自分に合った教え方をしてくれる」「自分の教え方を必要としてくれる」「いろんな人たちと関わり合いをもてる」という点において有効。




まー

ケチつけるのはこれくらいにしておきます。。

 

はじめてみまーす

まだどのようなものか分かりませんが、まずはやってみないと!ってな訳で日記書いてみました。


面白いこと起こるといいなー

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