マハトマ・ガンディーの履歴
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, मोहनदास करमचन्द गांधी, 1869年10月2日 - 1948年1月30日)、言わずと知れた「インド独立の父」。
インドのグジャラート出身で弁護士、宗教家、政治指導者。
「マハートマー(महात्मा, Mahatma)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされているガンディーの尊称。
日本ではガンジーと呼ばれる事が多い。
「非暴力、不服従」
にてインドを独立へ導く。
これは暴力を振るわずに革命を起こす、という非常にクリーンなイメージがあるが、ことはそう単純では無く高度で知的な戦略が随所に垣間みれる。
端的に書いてしまえば暴力に訴えれば即座にガンディーの独立運動は鎮圧されていただろう、という事。
一昔前なら相手を倒す→独立という手順で済むが、近代世界において暴力による一方的な鎮圧・制圧は世論の反対・不評を買い政治・経済がうまくいかない。
ガンディーはここに目をつけて「資本・武力」が無くとも運動を維持し、世論を味方につけ独立に導いた、その手腕は「見事」の一言である。
ガンディーの非常に柔軟な政策は後にヒンドゥー原理主義集団の反感を買い(印パ問題で譲歩を図った)義勇団の1人ナートゥーラーム・ゴードセー(नाथूराम गोडसे)らによって暗殺された、78歳であった。
3発のピストルの弾丸を撃ち込まれたとき、ガンディーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作で、ガンディーは「おお、神よ」(「ヘー ラーム हे राम」)とつぶやいて事切れたという。
国葬が行われ、遺灰は、ヤムナー川とガンジス川と南アフリカの海に撒かれた。
ガンディーの生き様をすべて肯定する訳ではな無いが、人間の生き様は正に死に際に出る。
最後の最後までガンディーであることを通し続けた「1人の男」として尊敬の念を抱かざるおえない。
関連Link:
【Wikipedia】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%...