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ジャワハルラール・ネルーの履歴

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ジャワハルラール・ネルー(जवाहरलाल नेहरू, Jawaharlal Nehru, 1889年11月14日 - 1964年5月27日)はインド初代首相



1889年、インド北部ウッタル・プラデーシュ州イラーハーバードの富裕なバラモン階級の家柄(父は弁護士)に生まれる。

青年期にイギリスに渡り名門ハーロー校に入学、同校を卒業した後、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学し、自然科学を専攻した。
1910年に同大学を卒業。そして1912年に弁護士の資格を取得してインドへ帰郷した。

帰郷後はインド独立運動に身を捧げ、インド国民会議派の幹部としてマハトマ・ガンディーやスバス・チャンドラ・ボースなどと共にイギリスからの独立運動を指導するようになる。

第二次世界大戦後、全インド・ムスリム連盟とヒンドゥー教徒が主体の国民会議派の対立が激化、1947年8月15日にヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言し、インドとパキスタンが分離独立する。
の時インド初代首相に就任した。

自ら社会主義者である事を宣言し、国家が経済を主導する計画経済を推進、1951年には第一次五カ年計画による経済開発政策を打出し、その後も5年ごとに五カ年計画が発表された。
企業の私有は認めるものの、民間部門に厳しい規制をかけ、公共部門が基幹産業を管理する混合経済体制を築いた。
また、国内産業を保護し、輸入品から国産品への代替を推進するとで工業化を目指す輸入代替工業化政策採用した。

経済政策が後のインドの大きな問題児として影を落とす。

1964年5月27日に首相在任途中で心臓発作により死去。
墓としてシャンティ・ヴァナが建立された。



インド政策宗教と切手は切り離せない関係にあり、ネルーもまた時代に翻弄されながら懸命にインドを導いた人間

ガンディーが「インド独立の父」であったように、ネルーは「インド独立の母」であった。



関連Link:
【Wikipedia】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%...