GEBを読む:記述のレベルとコンピュータシステム(1)
P288
例えばテレビは人間が見るか、犬が見るか、計算機か、テレビ受信機かのどれかによって、映像なのか点なのか信号なのかと見え方が変わる。しかし人間でも近くで見れば点で見ることが可能だ。複数の側面から認識ことができる。それでいて混乱することがないのは、もう一方を切り捨てて一方のみを認識しているからである。
それはチェスゲームにおける上級者と初級者の差にも見られる。上級者は駒単位でなく盤面単位で局面を把握する。また、ありえない手は暗黙的に刈り取られ効率的に探索される。上級者はそういう高いレベルのパターンを作りだし、初級者とは違うレベルで考えている。
-----
新しい言語を学ぶときに単語単位でしか理解できなかったのが文章で理解できるようになったり、…まぁようは「慣れ」か。
そういうパターン化はソフトウェアの世界とも似てると思う。似たような処理は関数化していかないとコード量が増えてしまい、コードの理解が困難になる。関数が処理のパターン化なら、デザインパターンはクラス単位でのパターン化で、より高次にある。
パターン化していかないと仕事が追いつかないし、しんどいもんねー。そういうの生み出しちゃうところ人間はすごいなぁ。
あぁ、パターン認識って結構重要なのかも。ニューラルネットワークなんて、真に人工的な知能を手に入れるためにはコンピュータのハードウェア上でやっても意味ないんじゃと思ってあんまり好きじゃなかったんだけど、そういうパターン化の能力を理解するためとして役に立たないことはないのかも。
コメント
コメントできません (ログインするとコメントできます)
コメントはまだありません