子どものための哲学対話

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ぼくと猫のぺネトレとの哲学対話。
子どもが読だらひねくれた子どもが育ちそうだ。例えば、

ペネトレ「友だちって、必要だと思うかい?」

ぼく「そりゃあ、絶対、必要だよ。ひとりぼっちじゃ、さびしいじゃ。」

(略)

ペネトレ「いまの人間たちは、なにかまちがったことを、みなで信じこみあっているような気がするよ。…(略)」

ぼく「猫のことは知らないけど、人間は、自分のことをほとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなだよ」

ペネトレ「そなことはないさ。そな人はいなくたって生きていけるさ。それが人間が来持っていた強さじゃないかな。ひとから理解されたり、認められたり、必要とされたりすることが、いちばたいせつなことだっていうのは、いまの人間たちが共通に信じこまされている、まちがった信仰なだ。」

ぼく「そなことを言ったのはペネトレだけだよ。」

ペネトレ「人間は自分のことをわかってくれる人なかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなだ。そして、友情って、来、友だちなかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなじゃないかな?」

ちなみに著者の永井均は独我論についてよく論じている人だそうです。

ぼく「するって、どういうことかな?」

ペネトレ「二つの種類のがあるな。世界のはずれから世界の中心へ向かっていくと、世界の中心から世界のはずれへ向かっていくの二つだ。」

エロスとアガペーのことですね!これはすごいおしゃれな表現だ!

社会契約論と原因と結果の話はよく理解できなかった。さらっと読めるけど、「子どものため」といいつつなかなか難しい

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