日本人プログラマ不要論からの脱却
インドや中国は国中から優秀な人材を集めて教育してプログラマを大量生産している。日本人の1/5程度の人件費で雇えるため、先進国の企業はインド人や中国人を遠隔で雇ってコスト削減を行っている。結果、英語ができなくてコストも高い日本人プログラマの需要は無くなりつつある。
ではどうするか?というのが最近のテーマ。
流通の分野では中国産製品に対抗し切れずに衰退しているように見える。
プログラマも同じ道をたどるのだろうか?
日本人や他の先進国の人の優位性として「感性」というものがよく挙げられるが、「感性」とは一体なんなのか?はてなダイアリーキーワードによると、
「人が世界や外界の事象(もの・こと・情報)に感覚というフィルターを通じて出会い、関係性や意味性を生み出し、創造性を展開していくという、その固有の形式や能力。身体に深く根をはった感性は、対象を直感的かつ統合的に、ひらたく言えば第六感においてにとらえていくことができる。感性はその大半の過程が無自覚・無意識のうちに起こる脳内プロセスであることも、理性や知性との重要な差異である。」
とある。よくわからないが、生活環境により後天的に身に付く無意識的な思考ロジックのようなものだろうか。
感性を発揮するということは何かを発明するということだと思う。一般的にプログラマは発明する人ではない。日本人プログラマは発明もするプログラマになるという道が見える。問題は日本企業が一プログラマに発明の時間を与えたり、その発明を評価したりする土壌があるのかということ。
ここでもうひとつの日本人の優位性として、資本力とインフラというのがある。日本ではITベンチャーを起業することはそう難しくはない。て自らの発明品や新しいサービスをその会社で発表・提供していくという道もひとつの選択肢だ。
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