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日本のことを知らない日本人

友人からスマイルニュースが届きました。感銘を受けたので紹介します。感謝・・・

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スリランカの若き政治家日本擁護の演説

1951(昭26年)年9月サンフランシスコで51か国の代表が集まって第二次世界大戦の戦争状態を終結し、日本との講条約を結び日本の独立を認めるかどうか議論されるサンフランシスコ講会議が開催された。
 会議で諸外国からは「日本に今、この段階で平を与えるのは、もってのほか」「日本を南北に分割して統治すべき」「日本を独立させるのは時期尚早」などなど日本バッシングが多く、特にソ連は強行で日本の主権制限案を提出して日本を四分割しソ連、アメリカ中国、イギリスの4か国が日本を統治するという主張を続け、32人の代表団を会議に送り込み議事進行を遅らせたりした。ソ連の日本列島分割案とはソ連が北海道と東北を、アメリカが関東甲信越をイギリスが近畿中国九州を、中国が四国をそれぞれ統治すると言うものだった。会議の雰囲気は日本の独立は時期尚早、参加国の多くは日本への莫大な賠償を求めていた。
 会議の3日の9月6日 アジアの小国のセイロン(現・スリランカ)の44歳の若き政治家が15分間の日本擁護の演説を行い会場の雰囲気は一した。
 その人の名前はJ.Rジャヤワルダナ氏(当時セイロンの大蔵大臣で後に初代大統領)。
 ジャヤワルダナ氏の演説内容の概略。
『私はソ連の日本の自由を制限する案には反対します。日本の独立に全面的に賛成します。
 アジア諸国民日本は自由でなければいけないということに関心を持っているのは何故でありましょうか?それは日本と我々の長年の関係のためでもあり、そして、アジア諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、我々は日本を保護者にして盟友として見上げて日本に対して高い尊敬心を持っていたためであります。
 我が国は空襲や東南アジア軍の指揮下にある膨大な軍隊の駐屯および我々が連合軍に対して天然ゴムの唯一の生産者であった時、我が国は我々の主要商品の一つであるゴムを枯渇せしめ莫大な損害を被りました。
 しかし我が国は日本に損害賠償を請求するつもりはありません。日本とスリランカは数百年を超えて仏教教義を共有している。仏陀はアジアの数多くの人々の生活を平に導いた。仏陀のメッセージである人道の波が南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシア、セイロンに伝わり、そしてまた、北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、シナへ、最後には日本へ伝わったのでした。これが我々を数百年もの間共通の文化と伝統でお互いに結びつけたものです。
この共通文化は未だに存続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見つけました。また日本の指導者たちから、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今尚平の仏陀の陰の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見出しました。
 我々、アジアの人達は仏教の創始者である仏陀のメッセージ、『憎みは憎みよって消え去るものではなく、ただによってのみ消え去るものである』という言葉を信じています。我々ももう憎しみを忘れようではないか。アジアの将来にとって独立した日本が必要である。
 日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破滅に対して、自らの軍事的防衛力を組織すること、そうするまでには日本防衛のために友好国の援助を要請すること、並びに日本経済に害を及ぼすようないかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することが必要であります』
 J.Rジャヤワルダナ氏の演説が終わると、万雷の拍手が沸き起こった。彼のこの演説が講会議の流れをえ、日本の国際社会復帰を大きく後押ししたのである。
 各国が自国の利害を考えて、駆け引きを繰り返す中、ジャヤワルダナ氏は日本軍の空襲を受け、被害を受けた国の代表でありながら、日本を擁護する演説を続けたのである。
敗戦国に対して、利害を超えて「尊敬」と「共感」を表明し、日本の独立を強く支持するジャヤワルダナ氏の言葉に会場はうちまった。このジャヤワルダナ氏の演説によって、第二次世界大戦で日本からの被害を受けて「日本憎し」で集まった国々がハッと我に返って、日本を自由諸国陣営の独立国に取り組む方向への流れが出来たという。
 アメリカマスコミはジャヤワルダナ氏の演説を絶賛して次の様に報道した。
「世に忘れられようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」(サンフランシスコ・エグザミナー紙)「この会議最高の歴史的発言」(ソルトレイク・トリビューン紙)「ジャヤワルダナ氏こそ、最も才能あふれるアジアのスポークスマン」(タイム誌)。
 ジャヤワルダナ氏の演説は日本の国際復帰に大いに貢献した。この会議に日本から出席していた吉田茂氏はジャヤワルダナ氏の演説に感動して「日本人はこの恩を後世まで忘れてはならない」と言いジャヤワルダナ氏に感謝した。
 そして日本はソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く48ヶ国と講を結び国際社会復帰を
果たした。
 ジャヤワルダナ氏は親日家でありその後も数回訪日している。
 1979年ジャヤワルダナ氏は国賓として来日し昭天皇に謁見した。
 また1989年昭天皇崩御の際には国賓として葬儀に参列した。
1996年11月1日ジャヤワルダナ氏は90歳の生涯を閉じ、コロンボの寺院で国葬が執り行われた。この時、日本からは総理特使のみの参列になった。残念ながらこの日本政府の態度は日本の大恩人に対してあまりにも不実だった。
 ジャヤワルダナ氏は終生日本していた。彼の遺志に基づき、後の彼の角膜が臓器提供された。片方はスリランカ人に、そしてもう片方は日本人に。日本の長野県の女性に提供された。
 それはスリランカと日本の未来を見つめていたいというジャヤワルダナ氏の願いからだった。
 ジャヤワルダナ氏の演説に関しては日本歴史での記述は殆ど見られない。また殆どの日本人はこの歴史的事実を知りません。学校でも教えられませんでした。
 東日本震災で福島原発事故が起こった時、多くの国は放射能を怖れて自国民日本から退去させたがスリランカは日本滞在のスリランカ人に「日本から退去してはならない。日本に留まって日本を助けること」と言う通達を駐日スリランカ大使はスリランカ人に伝えスリランカ人は一人も日本から脱出しなかった。
 今年でサンフランシスコ講会議から63年経過するがジャヤワルダナ氏とスリランカ国に対して心から感謝したいと思います。
(参考:『アジアが今あるのは日本のお蔭です』出版社発行、『TBS・世界ふしぎ発見』)
            [スマイルニュース第77号 ③]

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