高田のあたりまえノート単語集
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神様

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いわゆる「自然法則」と一神教の「神様」はよく似ている。違うところというのは、「神様」は、単に万物を支配するルールであるという以外に目的を持って働く、人格(に似たもの)を持った存在であること。

この、「何かの目的と人格を持って働く法則」というのが存在しうるのか、というと、普通に自然科学を学んできた人にとっては、非常に認めにくい概念になってしまうんだと思う。
「人格」とか「目的」というのは、定義しがたい曖昧なものであり、通常、余程の論拠がなくては、大抵の人の頭の中ではオッカムの剃刀で削除されてしまうのだ。

フェルマーの最短時間の原理の神様

高校生の頃、物理の参考書でフェルマーの最短時間の原理を知って、非常に困惑したことを覚えている。
最短時間の原理は、光の進行方向に関する法則である。
この法則は、以下の2つの法則を、簡潔に一つの法則で言い換えたものである。
1,反射に関する法則:光が反射するとき、入射角と反射角が等しくなるように、光が反射する方向が決定される。
2,屈折に関する法則:光が2つの透明な物体の間で屈折するとき、屈折前の光の進行方向と屈折面のなす角と、屈折語の光の進行方向と屈折面のなす角の、それぞれの正弦比の比と、2つの物体の屈折率(その媒体内での光速の変化の割合)の比が等しくなるように、屈折語の光の進行方向は決定される。
いずれも言葉にすると複雑だが、図にすると単純である。図に書いてみて欲しい。
この2つの原理を、フェルマーは、
「光は、もし、ある場所に到達するならば、その、ある場所に到達するために必要な時間が最短になるような経路を、光源から出るときにあらかじめ選び、以後は、その、最初に選ばれた経路にしたがって進行する」
といった一つの法則にまとめてみせた。
上とは全く違うことを言っているように見えるかもしれないけれど、上野2つの法則が満たされるということは、数学的には、下のフェルマーの原理が満たされることと全く同じなのだ。このフェルマーの原理は、上の2つの法則と同値であり、ただ単に、別の言い方で言い換えただけのものでしかない。

なんということ!なにか、光が、事前に未来に起こることを予測して、目的を持って働いているようではないか!

反射と屈折に関する別々の2つの法則であったときには、単純な現象を表現しているとしか思えなかった法則が、これをより単純な形に表現し直すと、なにやら奇妙な神様のようなものが出てくる形に変化してしまったのだ。

この法則は、高校生のぼくを混乱させた。何やら、「神は、これこれの目的を持って、その目的にかなうものとしてアブラハムを選んだ」とかみたいな雰囲気ではないか。

おとなになってから聞いた話だけれど、元々、フェルマーは、この原理を始めに書いた時、上で書いた形よりももっと有神論的な表現で書いていたらしい。
いわく
「自然の摂理は、光が光源から出るときに、その光が届くものと届かないものをみわけ、光が届くものに対しては、光が届けられるまでの時間を最短にするように、光の進む道を計画する。光源から出た光は、その最初に決められた計画に従って光が届くべき全てのものに向かって進行する。」
といった具合。たぶん。又聞きでうろ覚えの話であるが、たぶん、意味的には、こういう感じの事を言ったらしい。ちなみに、これも、数学的には、上の2つの法則と同じ事の言い換えにすぎない。

フェルマーの最短時間のその後

フェルマーの原理は、その後、さらに光についての研究が進むと、波が伝わる時の普通の現象の一つとみなされるようになった。

つまり、波も剛体も、普通の力学の法則に従って起こる現象であり、それを動かす法則には、別に「目的」などがあるわけではない(少なくとも、「目的」を持ちださなくても説明できる)のだけれど、波の起こす現象の一部は、波が「目的」を持って動いていると解釈して人間が作った法則でも、全く同じに説明できる。ただ、それだけのことだと考えられるようになった。

神様のいる法則

自然法則っていうのは、現在の状況を入力してやると、少し後の未来(法則の種類によっては遥かに未来)の現象についての予測を出力するようにできた、自然をシミュレーションするプログラムみたいなものだ。
ある予測をするためのプログラムは複数ありうる。ソースレベルでは全く異なるプログラムであっても、つねに出力結果が同じであるような2つのプログラムは、「同じ働きをするプログラム」と考えることができる。
そう考えると、反射と屈折に関する最初の法則と、フェルマーの原理は、「同じプログラム」であった。そして、波動に関するより簡単な解釈も「同じプログラム」であった。目的の有無は見かけ上のことにすぎない。

さて、神様というのも、ぼくは、ひょっとしたら、そういうことなんじゃないかと思っている。

いまでも、いろんな神様を信じている人がいる。それは、きっと、その人達にとって、神様がいると考えたほうが説明しやすい現象がいくつもあるということなんだろう。

つまり、神様みたいな、目的とか人格を持った法則を持ちだした方が説明が容易な現象とか心の動きというのはあるんだろう。で、それは、神様を持ち出さない別の説明ができるかもしれないけれど、その両者は結局、同値な(あるいは、少なくともよく似た現象を予測する)説明なのかもしれない。

そして、そうだと考えると、信仰心というものの進化論的な理解が容易になる気がするのだ。

ここまで書いてきて、ひょっとしたら、この話は、神様と信仰心というより霊魂(死後の霊という話ではなくて、生きている自分や他の人間の中に、たんなる神経細胞の間で起こる発火現象の集合以上の、何か、目的と人格を持った存在を感じる、といった話)と心の理論みたいな話の方がフィットするんじゃないかという気がしてきた。

まだ、全然まとまっていないお話なんだけれど、いつか、続きを書くかも。

「神様」について友人に書いてもらう。

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