penのブックの最新の日記
はじまりはいつもはりきる
はじめまして、はじめました。
例えば、
だんこむし、団子虫、ダンゴムシ、だんご虫、dango-mushi、団子ムシ
全部同じ「虫」のことを指しているのに、印象が全然違います。
マインディアで、「結婚」という何気ない一言をとってみても、人によってその意味は様々です。
言葉は、それぞれの人間のふかーい感情のシロップ漬けになっていて、それは日本語の特徴なのかもしれないけれど、いつのまにか濃いエキスが出てきて、それは「言霊」と呼ばれたり「説得力」と言い換えられたりしているのかもしれないですね。
だんごむしの例で言えば、文字のカタチなんかもその言葉自身の印象をぐっと変えます。
「だんごむし」はかわいらしい感じがしますが「団子虫」になると、何か別のもののようにさえ思えてきます。
こういうところが日本語の面白いところです。
「Apple」は「Apple」でしかないけど、「りんご」「リンゴ」「林檎」「Ringo」は、少しずつ何かが違う。
といっても、日本語だけが面白いというわけではなくて、コトバというものが面白い。(そうそう、こういう「言葉」と「コトバ」という使い分けも、知らず知らずのうちにやっている。)
ことばの意味やら印象やら影響というのは、それを使う人にかなり依存する、つまりその「人」の印象が「ことば」の印象と強い関係にある、また、ことばの意味は環境に左右される、というのが私の考え。
続きはまた気が向いたら書きます。