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大林丈史の噂

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しかもそれが空疎な平和ではない。飛び立っておどりたいほどの ecstasy を苦もなく押えうる強い力の潜んだ平和だった。すべての事に飽き足った人のように、また二十五年にわたる長い苦しい戦いに始めて勝って兜を脱いだ人のように、心にも肉にも快い疲労を覚えて、いわばその疲れを夢のように味わいながら、なよなよとソファに身を寄せて灯火を見つめていた。倉地がそこにいないのが浅い心残りだった。けれどもなんといっても心安かった。ともすれば微笑が口びるの上をさざ波のようにひらめき過ぎた。
 けれどもその翌日から一等船客の葉子に対する態度は手のひらを返したように変わってしまった。一夜の間にこれほどの変化をひき起こす事のできる力を、葉子は田川夫人のほかに想像し得なかった。田川夫人が世に時めく良人を持って、人の目に立つ交際をして、女盛りといい条、もういくらか下り坂であるのに引きかえて、どんな人の配偶にしてみても恥ずかしくない才能と容貌とを持った若々しい葉子のたよりなげな身の上とが、二人に近づく男たちに同情の軽重を起こさせるのはもちろんだった。しかし道徳はいつでも田川夫人のような立場にある人の利器で、夫人はまたそれを有利に使う事を忘れない種類の人であった。そして船客たちの葉子に対する同情の底に潜む野心――はかない、野心ともいえないほどの野心――もう一ついい換ゆれば、葉子の記憶に親切な男として、勇悍な男として、美貌な男として残りたいというほどな野心――に絶望の断定を与える事によって、その同情を引っ込めさせる事のできるのも夫人は心得ていた。事務長が自己の勢力範囲から離れてしまった事も不快の一つだった。こんな事から事務長と葉子との関係は巧妙な手段でいち早く船中に伝えられたに違いない。その結果として葉子はたちまち船中の社交から葬られてしまった。少なくとも田川夫人の前では、船客の大部分は葉子に対して疎々しい態度をして見せるようになった。中にもいちばんあわれなのは岡だった。だれがなんと告げ口したのか知らないが、葉子が朝おそく目をさまして甲板に出て見ると、いつものように手欄によりかかって、もう内海になった波の色をながめていた彼は、葉子の姿を認めるや否や、ふいとその場をはずして、どこへか影を隠してしまった。

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