ピーター・ドラッカーの履歴

概略

本名、Peter Ferdinand Drucker。1909年生まれ2005年没。日経新聞の私の履歴書で、引退はないということを述べており、晩年まで現役として活躍していた。

専門領域

一般的には、マネジメントの発明家と呼ばれるが、本人は「社会生態学者」と自認している。マネジメント以外にも、著書において、イノベーション、技術史、社会主義、知識社会、ナレッジマネジメント、起業家、NPOなどを論じている。

知日派

知日派であり、盛田昭夫(ソニー)、中内功(ダイエー)、伊藤雅俊(イトーヨーカ堂)らとの交流がある。日本画を収集しており、クレアモント大学では日本画の講義を受け持っていた。ドラッカーの著作の日本語訳を手がける上田惇生とは親交は深い。晩年の「はじめて読むドラッカー」4部作は、上田がプロデュースに参加しており、日本で最初に出版された。

略歴

1909年、オーストリア・ウィーン生まれ
1933年、ナチス迫害を逃れ、ドイツからイギリスへ移住
1937年、ドリスシュミットと結婚、後に4人の子供をもうける
1937年、アメリカに移住
1939年、処女作「経済人の終わり」
1950年、ニューヨーク大学教授
1946年、GM研究の成果「会社という概念」
1959年、初来日
1971年、クレアモント大学へ
2000年、「はじめて読むドラッカー」