百万人都市の履歴
アレキサンドリア:知識革命の地
歴史上初の百万人都市
歴史上初めて現れた百万人都市はプトレマイオス朝のアレキサンドリアである。世界・国の人口の中心が政治の中心となり文化の中心となる。百万人という人口臨界点(ティッピング・ポイント)を超えることにより、知識革命が起きる。
世界初の知識体系アレキサンドリア図書館
アレキサンドリアには70万巻に及ぶ文献を所蔵するアレキサンドリア図書館があった。世界初の知識体系と言うことができる。アレキサンドリアはアルキメデス等の著名な科学者や哲学者を数多く輩出した。
アレキサンドリアの破壊
紀元前30年、プトレマイオス朝はローマ帝国に滅ぼされ、アレキサンドリアはローマ帝国の保護下に置かれる。しかし帝国が衰退し、375年に東西に分裂すると、アレキサンドリアは391年に破壊され、ここに西洋の知識は失われた。
1445年にグーテンベルグが活版印刷技術を開発するまで(印刷革命)、ヨーロッパ文明は低迷することになる。
百万人都市列伝
Wikipediaの歴史上の推定都市人口より、年代別の世界最大都市(人口百万人以上)を列挙した。
- アレキサンドリア BC100
- ローマ(ローマ帝国) 100年、200年、300年
- 長安(唐) 700年
- バグダード(イスラム帝国) 1000年、1100年、1200年
- 開封(北宋) 1200年
- 杭州(南宋→元) 1200年、1300年
- 南京(明) 1400年
- 北京(明・清) 1500年、1600年、1800年
- アユタヤ(シャム) 1700年
- ロンドン(大英帝国) 1900年
これを見ると、ローマ帝国東西分裂後、世界の人口中心はイスラムと中国(唐・宋・元・明)の首都であったことが分かる。巨大人口により知識が蓄えれ、文化も花開くのである。
19世紀になり、いち早く産業革命を果たしたイギリスの首都であるロンドンは世界で始めて人口二百万人を突破した(1825~1850年の間)。
第一世界大戦によりイギリスが衰え始めると、戦後にはニューヨークが世界最大都市となった。
近郊も含めた都市人口は、1960年代、東京が世界一に躍り出、今日に至る。
>>「世界最先端都市」参照
脚注
既存の文明人により人為的に建設されたアメリカ・カナダ・オーストラリアでは、人口中心と政治中心が異なる。
改訂履歴
2010.03.19 リンク追加。誤記修正済み
2010.01.31 初稿