教育の履歴

「教育」は提供するもの

教育は親が子に提供するもの。教育の主体は、提供者側。主体の違いは「教育と学習」を参照のこと。

安岡正篤

「教」は身をもって手本になる、率先垂範の意味であります。だから教育者というのは、人間として自らお手本になって、生徒を教える人をいうのです。

出典:『安岡正篤―人生は難題克服に味がある』芳村 玲好 (編集)

親として子に提供している教育

  • 水泳教室(幼稚園~小学生):病気にならなくなります。
  • ヤマハ音楽教室(幼稚園~):感性を身につけられます。幼稚園から学べば、間違いなく絶対音感が身につきます。
  • 公文(幼稚園~小学生)

教育のジレンマ

学びとは、学び終わったあとになってはじめて自分が学んだことの有用性や意味について知ることができるという順逆の転倒したかたちで構造化されている。

教育について生産的なのは、「こうしなさい」「こうすればよい」という一元的な制約を設けないことである。

出典『昭和のエートス』内田樹 著

教育が難しいのは、そのときに必要ないと思ったことが後から思いかけず生きてくることだ。いやなこともある程度学ばなくては、幅が広い人は育たない。

出典『人生を決めた15分 創造の1/10000 』奥山清行 著

反逆・反抗

教育とは子供たちに、反逆し、自分たちの夢をみるための道具と武器を授けるべきものです。

出典:『もし、日本という国がなかったら』 ロジャー・パルバース著

教育の設計

読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。

出典:『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』
原出典:フランシス・ベイコン

義務教育

「義務教育」の「義務」とは「保護者の義務」である。子どもの義務ではない。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

—  日本国憲法第26条第2項

編集履歴

  • 2010.08.26 初稿
  • 2010.09.23 「教育」と「学習」、「教育」から「学習」へを追記
  • 2010.12.04 「教育と学習」を分離
  • 2011.12.24 「子に提供している教育」を追記
  • 2011.12.25 「安岡正篤」を追記
  • 2013.09.13 「反逆・反抗」を追記
  • 2014.04.30 「教育の設計」を追記
  • 2020.08.11 「義務教育」を追記