銃・病原菌・鉄の履歴

超一級の文明論

ジャレド・ダイヤモンドの名著。超一級の文明論書。ユーラシア大陸で文明が発生した理由を、進化生物学者の視点から明快に説明する。

日本語版は2000年発行。既読。

文明偏在の理由

なぜ、文明はユーラシア大陸で先行して発達したのか?なぜ、遅れてしまったアフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラリア大陸・ニューギニアは、文明化が遅れた、あるいはならなかったのか?それは、ヨーロッパ人が知能に優れ、原始的社会で暮らすアフリカ人・ネイティブアメリカ人・オーストラリア人・ニューギニア人が知能に遅れていたからなのか?ジャレド・ダイヤモンドは、この知能格差論を明確に否定する。

地理構造と穀物・家畜の存在

彼は、地理構造と穀物・家畜の存在にその原因を求めた。ユーラシア大陸が東西に長い大陸であることと、穀物の原種と家畜になる動物の原種がユーラシア大陸に多く存在したためである。これが、今までの歴史学者が言及してこなかったことであり、進化生物学者であった彼だからこそできた洞察と言える。

ネイティブのアメリカ人の人口が少ない理由

ヨーロッパ人が南北アメリカ、オーストラリア大陸を制圧したのは、どちらかというと武力ではなく、その地理構造と病原菌にあった。ネイティブのアメリカ人は、銃に倒れたのではなく、ヨーロッパ人がもたらした病原菌によって人口激減させられた。

東西に長いユーラシア大陸

ユーラシア大陸は、東西に長いために、同じ気候帯の地域が東西に長い。たとえば、温暖な気候帯が東西に長いため、古くから陸路の交易路(シルクロードなど)が発達したし、東西に長い大国(チンギスハンのモンゴル帝国や19世紀以降のロシア)が成立しえた。交易により、経済が発達してきたことは、ほかの歴史書でも触れられているとおりである。

南北に長いアフリカ大陸と南北アメリカ大陸

しかし、アフリカ大陸と南北アメリカは、南北に長く、気候帯が分断されている。中央部は熱帯雨林に覆われ、熱帯雨林の南北は砂漠が隔たっている。よって、人々が交易を図ることができず、文明の発達が遅れた。あるいは見られなかった。

アフリカ大陸

アフリカ人以外によるアフリカの南北横断は、1498年のバスコ・ダ・ガマの喜望峰到達を待たねばならなかった。つまり、熱帯雨林以南のアフリカは、現地に住むアフリカ人以外には未踏の地であった。それ以降も19世紀末に至るまで、アフリカは暗黒大陸と呼ばれた。

南北アメリカ

1533年にインカ帝国が滅ぼされた時、征服者フランシスコ・ピサロは、パナマからペルーに渡ったが、インカ人はそのパナマ以北にあったアステカ帝国の存在を知らなかった。つまり、細く括れた熱帯雨林であるパナマ地峡を、インカ人もアステカ人も超えることができなかった。

ニューギニアとオーストラリア

ニューギニア自体、熱帯雨林に覆われ、ニューギニアを横断して、インドネシアとオーストラリアの間の人の行き来はなかった。ネイティブ・オーストラリア人は、オーストラリア大陸に閉ざされた。また、ニューギニア島自体、非常に高低さの大きな島だった。海抜高さが異なれば気候・植生が異なる。わずか数キロの距離でさえ、交流がなかった。

アフリカ・南北アメリカ・オーストラリア・ニューギニアは、交易がなかったことにより、自前で発見・発明した物・技術しか持ちえず、ユーラシア大陸より圧倒的に文明化が遅れた。

穀物

穀物の長所はその再生産性の高さである。一粒の種子から千倍以上の実を実らせることが可能であり、幾何級数的に食料を生産することができる。

自生と交易

麦はメソポタミアに自生し、米はインドまたは中国に自生していた。ユーラシア大陸が東西に長いこともあり、麦・米は瞬く間にユーラシア大陸全域に行き渡った。しかし、砂漠・熱帯雨林で閉ざされたアフリカサハラ砂漠以南、ニューギニア・オーストラリア、大西洋で隔てられた南北アメリカにもたらされることがなかった。

家畜

家畜といえば、牛・馬・豚・羊・鶏などである。牛とバッファロー、馬とシマウマは、似て非なるもので、バッファローやシマウマは、その気性の激しさから、家畜には向かない。家畜となりうる大人しい性格の動物もまた、ユーラシア大陸に偏在していた。当然、交易により東西にもたらされた。

家畜と病原菌

これら家畜は、良質のたんぱく質を提供し、労働力も提供したが、同時に家畜と生活を共にすることにより、伝染病をも家畜からもらい受けることになってしまった。穀物生産により、ユーラシア大陸は人口が稠密になり、家畜からうつった伝染病は、人間同士でもうつることになった。21世紀になった現在でも、鳥インフルエンザが問題になっている。

伝染病がなかったアメリカ・オーストラリア

ユーラシア人は、絶えず家畜と接することにより、病原菌にさらされ続け、抗体を持つことができた。しかし、南北アメリカ・オーストラリアでは、家畜の存在が稀有であり、また人口密度が希薄だったことから、伝染病は発生しえず、病原菌に対する抗体も持ち合わせていなかった。16世紀以降、ヨーロッパ人が侵入してきたことにより、期せずして病原菌ももたらされ、ネイティブのアメリカ人・オーストラリア人は、壊滅的に人口激減させられた。結果的に、現代では、ネイティブのアメリカ人・オーストラリア人の人口は圧倒的に少ない。

アフリカとニューギニアは不可侵地域

一方、文明が起きなかった熱帯雨林のアフリカとニューギニアでは、当然、さまざまな病原菌も生息しており、アフリカ人・ニューギニア人はそれら病原菌に対する抗体を持ち、一方でヨーロッパ人はそれら抗体を持ち合わせていなかったたため、簡単に浸入することはできなかった。ヨーロッパ人がこれら地域に侵入できるようになったのは、ルイ・パスツールが病気の原因が細菌であることを突き止め、ワクチンの発明を行って以降である。