BIS規制の履歴
(素人説明につき、正しくない部分もあるかもしれませんが、素人にも分かりやすく説明するということで、ご容赦下さい。)
1988年制定された金融機関の自己資本比率に対する規制。国際金融機関は、8%以上と定められ、1992年までにその達成を求められた。その結果、バブル崩壊が起きることになる。
そんなことは少し考えれば分かることのように見える。しかし、日本の銀行は慢心し、後手後手となって、手遅れとなった。これを見方によっては、外資系金融機関が日本にバブル崩壊を仕組んだとも読める。さすがに、そのリスクを理解していた日本の銀行は、2000年代のサブプライムローンに一切手を出さなかった。
唯一、ゴールドマンサックスは、日本のバブル崩壊とリーマンショックの二度、逆張りを演じ、他行を尻目に、稼ぎ頭となった。
自己資本比率とは
金融業界の人以外には謎かけでしかないのだが、銀行はお金を預かってもお金を貸しても資産が増える。
- たとえば、自己資本1億円の銀行を設立するには、投資家から1億円のお金を集める。話を簡単にするため、これ以降、経費を一切無視する。
- たくさんの人から預金を集めて1億円預かると、資産は資本金+預金の合計2億円となる。自己資本は1億円なので、資産に占める自己資本の比率は50%になる。
- 企業Aに2億円貸す。企業Aはそのお金を一旦、その銀行の口座に入れる。そうすると、銀行の資産は2億円+2億円で4億円になる。総資産に占める自己資本比率は25%に低下する。
- 企業Aが企業Bに代金2億円支払う。企業Bの同銀行の口座に振り込む。そうすると、銀行の資産は4億円+2億円の合計6億円になる。自己資本比率は16.7%に低下する。
なお、一般的な企業の場合、設備投資旺盛な企業は比較的自己資本比率が低い。自動車企業で30%ぐらいか。一方、設備投資の少ないIT企業は60%ぐらいの自己資本比率の企業が多い。ラフノート株式会社は、何%ほどかな?
バブル崩壊
このステップを繰り返すことにより、元々自己資本1億円+預金1億円の合計2億円しかなかったのに、どんどん貸し出しを増やすことができる。その結果、バブルが生じた。そして一方で、自己資本比率の大幅低下を招いた。
そこへ、自己資本比率を8%以上にせよというBIS規制が発動される。国際取引を行う金融機関は8%以上になるように努力するか、国際取引から撤退するかのどちらかの選択を迫られる。都市銀行は8%以上を目指し、地方銀行は海外から撤退した。8%以上を目標とした都市銀行は、貸し出しを減らす方向に舵を切る。借り換えを促しておきながら、一旦返したら、再貸出しをしないという手もあったようだ(半沢直樹の世界か?)。どんどん貸し渋り、貸し剥がしが起き、自己資本の実態がないのに借りていた不動産業等は、連鎖倒産していく。かくして、バブルは崩壊した。
一度起きたことは二度起きる通りで、サブプライムローンの急増・焦げ付き・リーマンショックも、同じ図式で起きた。一度学習した日本の銀行は、リーマンショックの巻き添えは食らわなかった。