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中世的未来

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比較的近い将来の社会が中世の社会と似通ってくるのではないかと考える論者は珍しくない。

そのようになる理由は、経済成長の停滞、資源の不足、情報化のさらなる進展など、様々。

未来が「中世」に似てくると考える論者

 そのもののタイトル。冷戦以後の世界の見方としては、一読の価値があると思う。

 古い本だが、今読んでも大丈夫だと思う。著者は、経企庁長官になって、大分ミソを付けることになってしまったけれど。今後出現する「知恵の価値が高まる社会」の特徴を「マルチメディア中世」と表現する箇所がある。

 これも古い本だが、今読んでも大丈夫だと思う。フリーでネット上で読むことも出来る。この著者は、現在、この本をリメイク中とのこと。

どのような社会か

将来の社会が、どのような点で中世に似ていると考えるかは、論者によって若干異なるが、概ね、以下のような点が「中世的」とみなされているようである。

国際社会について

国家の機能が低下し、国際社会を構成する主体が多様になること

絶対王政が確立する以前の社会では、国家のちからは現在ほど強くはなかった。国家と同程度以上に強力な組織力を持つ商会、騎士団、ギルド、教会などがいくつも存在し、国家と同等以上の発言権を持って「国際社会」を形成していた。

現在、NPOや多国籍企業などの力他強まり、国家だけが形成する「国際社会」は、変質し、より多様なプレーヤーが「国際社会」を形成するようになってきている。

多様な主体の相互依存が強くなるため、それぞれの主体の意思決定が制限されるようになること。

中世には、前述のような多様なプレーヤーが複雑に相互依存しながら社会秩序をつくっていた。そのため、国王や枢機卿などであっても、他のプレーヤーの意志を無視して自身の行動を決められることは殆ど無かった。

現在、急速に国際化が進んだ結果、内政問題と外交問題の境界線は、かつてなく曖昧になっている。例えば、円高に対して、日本政府が単独介入するべきかどうかの判断は、内政問題だろうか、国際問題だろうか?あるいは、政策金利を変更することは、内政だろうか?普天間基地返還は日本政府の意向だけで決定できる内政問題だったろうか?多くの国の政府が、自国内の問題であっても、他国政府の意向を無視して決定することは出来なくなっている。

特に、国家の中で、政府の機能と意思決定の権限が低下すること

現在、技術が高度に専門化したため、多くの分野で、政府は、企業や業界団体の協力なしには政策を実行することすら出来なくなっている。たとえば、今日、行政は、マイクロソフトやグーグルの協力なしには、インターネットに関連する政策を決定することすら困難になりつつある。

イデオロギー対立がなくなり、多くの主体の間で、望ましい社会体制に関する意見がある程度共通されること。

宗教改革より前、複雑に入り組んだ多様な主体が存在していたが、「どのような行動が望ましいか」「どのような社会が望ましいか」に関する意見は、社会全体で概ね共有されていた。すなわち、ローマ・カトリックである。
現在、これまでになく意思決定する主体が多様になりつつある。しかし、冷戦が終結し、イデオロギーの対立がなくなった現在、どのような社会が望ましいかに関して、主要なプレーヤーは、大まかなコンセンサスを得つつある。右派から左派まで、若干の温度差はあるものの、自由主義と民主主義という大まかな点については、意見を共有するようになっている。

人々の関心について

物質的な消費への関心が低下すること。

大航海時代以前、ヨーロッパは1000年以上に渡る、慢性的な資源不足にあった。そのなかで、様々な物資の流通量は少なく、価格は高く、社会全体が資源の節約を必要としていた。そのため、物質的な欲望を持つことは、悪いことと考え、強く戒める道徳が主流であった。
現在、地球の資源が有限であり、産業廃棄物や生活廃棄物の処理が大きな問題になっている。そのため、資源を多く使う経済活動は、悪いこととみなされるようになり、僕たちは、かつてほど、物質的な消費、たとえば自動車や家電などをほしがることはなくなった。

代わって、アイデアや考え方を求めて、消費活動が行われること。

中世には、物質的な消費は少なかった。当然、これは、彼らに欲しいものが無かったわけではない。ただし、彼らにとって、物質的な消費は高価に過ぎた。代わりに、困ったことを解決したり、自分を安心させてくれたりする「情報」を求めたのである。当時のカトリックの神父たちの仕事は、まさにそれを与えることであった。別の言い方で言うと、中世の人々は、物質の代わりに宗教を「消費」していたのだとも言える。
現在、僕たちは、物質的な消費に変わり、欠乏感を埋めるコンテンツやプログラムやウェブサービスを消費したがるようになっている。

経済活動

起業に必要な資本が少なくなり、代わって、知識や人望が必要とされるようになる。

マニュファクチュアの成立以前には、多くの分野では、起業するために大規模に資本を集めることはなかった。大規模な製造業のノウハウが出来上がる以前には、巨大資本の投入は、それ自体、効率の良い投資ではなかったからだそうだ。したがって、それ以前には、製造業にせよ、商業にせよ、多くは、一族単位での事業が中心であった。その家の出身でないものが、その産業に参加したい場合は、内弟子なり住込み奉公なり、要するに現代的な言い方で言うと、社長の家に住みこんで、社長の家族になることが一番の早道であった。
現在、この点でも、中世化が起きているように見える。「株式家族」の項目を参照せよ。

どういう理由で社会が変化するか

上記のような社会が生まれる理由として、以下のようなものが挙げられることが多いようである。

  • 社会の相互依存の進展
  • 資源の有限感
  • 情報技術の発達

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