電気通信革命
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イノベーション史の骨子
- テクノロジーの発明・科学上の発見
- オートメーション
- イノベーション
テクノロジーの発明・科学上の発見
1832年、露パヴェル・シリングが、1833年、独ガウスとヴェーバーが電信機を発明した。
オートメーション
イギリス国内の電信
1837年にはイギリスで電信が商業化が開始された。
国際電信
1850年にはイギリス・フランス間で海底ケーブルが施設され、初の国際電信が可能になった。1866年にはアメリカへ、1869年には日本まで到達した。わずか19年で世界が一つになった。
イノベーション
インテリジェンス戦争(国家競争の時代)
- 情報(インテリジェンス)を持つ国が戦争で勝つようになった。1905年、日露戦争における日本海海戦では、日本の民間船からの無線通信で、ロシア艦隊を目撃したという情報を入手したことにより、日本海軍は対馬海峡へと艦隊を差し向け、勝利することができた。
- 1941年、日本の暗号を解読したアメリカは、日本による真珠湾攻撃の情報を事前キャッチしていたのにも関わらず、これを黙殺、在ワシントンの日本大使館が米国への宣戦布告が遅れたことと相俟って、アメリカ政府は、真珠湾攻撃は日本による卑怯な奇襲であるという宣伝を行い、アメリカ国民の半日感情を煽ることに成功した。この半日感情があったからこそ、アメリカは4年間も日本と戦うことができた。
なぜ清と李氏朝鮮は発展しなかったのか?
19世紀後半、なぜ日本は発展し、清と李氏朝鮮は発展し得なかったのか?李氏朝鮮にフォーカスして説明する。
李氏朝鮮は、日本から遅れること22年後に、日本の圧力によって開国させられた。しかし、この22年が致命的であった。
オフラインの情報伝達
日本が開国した1854年時点であれば、イギリスの国際電信網は東アジアに到達していなかった。しかし1872年時点では、日本から中国・インドを経由して、ヨーロッパ・アメリカまでの通信網が完成していた。つまり、1854年時点であれば、極東のイギリス軍とイギリス本国とは、船あるいは陸路で人手を介して連絡を取る以外、方法はなかった。1ヶ月以上かかっていたはずだ(未チェック)。
リアルタイムの情報伝達
ところが、1876年になると、リアルタイムに通信ができた。イギリス本国は、即日、極東のイギリス艦隊を動かすことができた。
世界が国際電信で結ばれている時代に、全く電信手段を持たない李氏朝鮮が、国際情報戦争で勝てる道理はなかった(負けの選択肢しかなかった)。李氏朝鮮は完全に世界の潮流に残されてしまい、清・ロシアに翻弄され、大韓帝国を経て、1910年、日本に併合された。
結論
電気通信が生んだイノベーション、それは紛れもなく、インテリジェンス戦争だったのである。電気通信により、世界は国家競争の時代に突入した。
年号
黎明期
- 1832年 シリング、電信機を発明
- 1837年 イギリスで商業化
- 1850年 イギリス~フランス間海底ケーブル敷設
(1853年、ペリー来航)
(1854年、日米和親条約、日本海国)
- 1866年 大西洋海底ケーブル敷設
明治維新と日本への導入
- 1869年 東京~横浜間で公衆電報開設
- 1869年 長崎~上海間海底ケーブル敷設(インド洋・シベリア経由で日本とヨーロッパと接続)
- 1872年 関門海峡海底ケーブル敷設(東京からヨーロッパまで接続)
電信から電話へ
- 1875年 グラハム・ベル、電話機を発明
(1876年、李氏朝鮮開国)
優先から無線へ
- 1895年 マルコーニ、無線電信機を発明
軍事利用へ
- 1905年 日露戦争で無線通信を利用、勝利へ
- 1941年 アメリカ、日本の暗号通信を解読し、宣戦布告を事前察知
知識革命の体系
- 第一次知識革命:人類史上初の百万人都市
- 第二次知識革命:印刷革命
- 第三次知識革命:電気通信革命
- 第四次知識革命:放送革命
- 第五次知識革命:IT革命
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