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京都の遊里として

 京都の遊里として名高いのは島原ですが、島原は三代将軍家光の時分に出来、別に祇園町の茶屋というのが丁度此の時分に出来て、モダンな遊里として市中に噂が高かった。それがどうやら、二禅僧の耳にも入りました。もとより噂を生聴きの上、二人の性格からしても、その内容を察しられそうにも思われません。ただ
「折角、京都へ来た事でもあるから、その評判の茶屋とかいうものも見学しとこうではないか」
 このくらいな、あっさりした動機で二人は連れ立って茶屋探険に出かけました。
 襟の合せ目から燃えるような緋無垢の肌着をちらと覗かせ、卵色の縮緬の着物に呉絽の羽織、雲斎織の袋足袋、大脇差、――ざっとこういう伊達な服装の不良紳士たちが沢山さまようという色町の通りに、僧形の二人がぶらぶら歩く姿は余程、異様なものであったろうと思います。http://mindia.jp/book/oukoku/entry/7095

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