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しかし非現実の部分に感動してゐながら

しかし非現実の部分に感動してゐながら、それを認めないといつた風な、否定の仕方なのである。そしてもし光瑤が全くの写実主義者になりきつたと仮定したら、その人々は眼もふりむけないだらう。そしていふだらう「昔はもつと美しい色であつたがと」光瑤は勿論、これらの人々のいふことをきいて軽忽に写実主義者になることはあるまい。抽象的方法、象徴的方法は高度の写実的方法であることははつきりしてゐる。その方法が適確である場合には、その形態がどんなに突飛であつても、写実的実感を見る者に与へるし、ねらひがはずれたときは、装飾的な嫌悪を感じさせるのである。「春律」はその意味の後者に属し、私にとつては興味が薄い。「春律」は何等光瑤の画風転換作でもなんでもない。近来の作品は写意が強く、不安感や、焦燥感も全く拭ひ払はれた、静謐なものが多く見受けられる。しかし光瑤の脂肪はまだこのやうにして、脱けてはいけないやうに思はれる。
 もつと強烈な光瑤の理想的美の境地を、作品で顕現してほしいのである。
 美しいものは何時もまつさきに感動した者が、まつさきに嫉妬するのである。光瑤はこゝで驚ろくべき美しさを表現して、多くの人々に最大の嫉妬をされなければならないであらうし、また人間の為し得る美しさの究極点を示し得る人は光瑤氏のやうな人ををいてあるまいと思ふ。また我々はさうした極点の美を示されることを待望してゐるのである。
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