60年問題の履歴
60年とは、ほぼ二世代に相当する。二世代交代すれば、その前の世代のことは、ほぼ忘れられる。
ポジティブな側面(+)
過去のしがらみ・束縛から解放される。
ネガティブな側面(-)
過去の失敗の教訓を忘れてしまい、同じ過ちを繰り返す。
60年問題の別の呼び名
景気循環の周期
景気循環の周期の一つにコンドラチェフの波と呼ばれるものがある。60年で循環していると言われる。
イノベーションのサイクル
ピーター・ドラッカーは、イノベーションのサイクルは60年だとしている。技術発明から当初の想定外の用途への展開(社会的価値の創出)までに60年を要すると述べている。過去の社会通念から解放されるのに、やはり二世代分の交代が必要だからと思われる。
(事例1)イノベーション
「イノベーション史」「印刷革命」「産業革命」を参照のこと。
(事例2)明治維新と太平洋戦争
攘夷は不可能と悟り統一国家建設を目指した明治維新(1868年)。それを忘却して起こったのが約60年後の太平洋戦争(1941年)。
尊皇攘夷
1853年黒船来航、1858年日米修好通商条約締結により、日本に尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる。1860年、大老井伊直弼は暗殺され、1862年から1863年、薩摩藩・長州藩は攘夷を断行し、イギリスを初めとする欧米列強に敗れる。
攘夷は不可能、統一国家への舵きり
攘夷は不可能だと悟り、統一国家を目指すべく、1867~1868年、明治維新(大政奉還~王政復古の大号令~戊辰戦争)を断行した。
元老たちの教訓
明治維新の立役者である後の元老。伊藤博文らが就任する。彼らは西洋列強と戦ってはいけないということを肝に銘じていたはずである。
1922年に元老・山県有朋、1924年に元老・松方正義が亡くなる。この当りから政治のリーダーシップが怪しくなる。
失われた教訓
1930年浜口首相暗殺未遂、1931年満州事変、1932年五一五事件で犬養首相暗殺、1936年二二六事件で岡田首相暗殺未遂、高橋蔵相暗殺。
1940年最後の元老・西園寺公望が亡くなり、攘夷は不可能という記憶が失われた。大局に立って政治的助言を行う者、西洋列強との戦争を戒める者がいなくなった。
そして、1941年、対米英戦争、太平洋戦争が始まった。
(事例3)太平洋戦争と21世紀の日本
やはり西洋列強との戦争は無理だと悟った1945年。それから60年が過ぎた。
敗戦の教訓
1945年敗戦。中曽根以前の首相は、みな、成人してから終戦を迎えている。戦争は悲惨である。「戦争をしてはいけない、日本を守らなければいけない」、そう肝に銘じたはずである。
戦争経験者の引退
2003年の衆議院議員選挙にて、時の小泉純一郎首相が比例区73歳定年制を持ち出したことにより、中曽根康弘ら戦争経験のある政治家が引退に追い込まれた。
それでも、21世紀に入ってからの首相、小泉・福田・麻生らは、幼少のころに戦争を経験しており、戦争の悲惨さを覚えているはずである。
失われつつある教訓
ところが、2006年、初の戦後生まれの安倍晋三首相が誕生。2009年誕生した民主党鳩山由紀夫首相もまた戦後生まれである。
安倍、鳩山は戦争未経験者であり、しかも、お坊ちゃん育ちである。戦争の悲惨さどころか、戦後の貧困も経験していない。安倍、鳩山らの存在の軽さは、戦争未経験・貧困未経験にあるのではないだろうか?(その点、中卒で成り上がって来た田中角栄の迫力は違った。)
鳩山由紀夫が日本の外交・安全保障を担うのは危うさを感じる。
実際、普天間問題で日米関係を危うくしている。
まとめ:歴史から学ぶということ
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」と言う。であるならば、明治維新から太平洋戦争へ至った経緯は、大いに学ぶ必要があると言える。我々は歴史から学んで活かすことができるのだろうか?
2010年、それが問われている。
参考リンク
- Wikipedia>元老
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E8%80%81
- 尾崎行雄の遺言
http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=473
編集履歴
- 2010.11.30 参考リンク「尾崎行雄の遺言」追加
- 2010.03.15 初稿 60年問題の別の呼び名、(事例1)イノベーション、(事例2)明治維新と太平洋戦争、(事例3)太平洋戦争と21世紀の日本、まとめ