大航海時代の履歴
きっかけ
15世紀から17世紀のヨーロッパ人によるアメリカ・アフリカ・アジアへの航海による進出が行われた。
オスマン・トルコ帝国の隆盛が、ヨーロッパからアジアへの道を遮断したことにより、ヨーロッパ諸国は、航路によるアジアへの道を探索しなければならなくなった。ルネッサンスの三大発明の一つ、羅針盤の技術により、航海を可能にした。結果的に、アジアへの航路の発見のみならず、アメリカの発見へと繋がった。
- 1488年 バルトロメウ・ディアス(ポルトガル人)喜望峰に到達。
- 1492年 クリストファー・コロンブス(イタリア人)、スペイン女王の支援を得て、西インド諸島に到達する。
- 1494年 ポルトガルとスペイン、世界を二分すべく、トルデシリャス条約を結ぶ。この条約によりブラジルを除く南米とフィリピンはスペイン、ブラジル、アフリカ、インド(ゴア)、マレー半島(マラッカ)、中国(マカオ)はポルトガルが優先的に交易できるようになった。
- 1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル人)、喜望峰を経て、インドに到達する。
- 1500年 アメリゴ・ヴェスプッチ(イタリア人)、ポルトガル王の支援を得て、ブラジルを発見。今日の南北アメリカ大陸を新大陸と主張する。
16世紀の覇者はポルトガルとスペイン
最初の大航海時代の覇者は、ポルトガルとスペインだった。大西洋に面した地理的条件が他のヨーロッパ諸国に対して有利だった。
- 1521年 フェルディナンド・マゼラン(ポルトガル人)の一向、世界一周を果たす。しかし、マゼラン自身はフィリピンで殺害される。
- 1521年 エルナン・コルテス(スペイン人)により、今日のメキシコにあったアステカ帝国が滅ぼされる。
- 1533年 フランシスコ・ピサロ(スペイン人)により、今日のペルーにあったインカ帝国が滅ぼされる。
- 1543年 ポルトガル人により日本に鉄砲が伝来する。
- 1549年 フランシスコ・ザビエル(スペイン人)により、日本にキリスト教が伝来する。
17世紀から18世紀前半までの覇者はオランダ
中国では明が衰退したことにより、極東では日本が最強国だった。その日本相手の貿易からスペイン、続いて、ポルトガルが撤退し、またイギリスでは市民革命が起きてもたついている間に、アジア貿易はオランダが一歩リードすることになった。18世紀後半、イギリスで産業革命が起きるまで、オランダの優位は続いた。オランダが世界の貿易の中心地だった。『沈没船が教える世界史』によると、当時のヨーロッパの帆船20000隻のうち16000隻がオランダの船だった。
- 1568年 オランダ独立戦争開始
- 1588年 イギリスがスペイン無敵艦隊を破る。
- 1600年 イギリス・東インド会社設立(世界初の株式会社)
- 1602年 オランダ・東インド会社設立
- 1616年 清が起こる。
- 1624年 江戸幕府、スペイン船来航を禁止する。
- 1639年 江戸幕府、ポルトガル船来航を禁止する(鎖国)
- 1641年 イギリスで清教徒革命が起きる(「市民革命」参照)。
- 1644年 中国で明が滅亡。
- 1648年 ウェストファリア条約、オランダ独立承認