百万人都市
1pt
歴史上初の百万人都市:アレクサンドリア
歴史上初めて現れた百万人都市はプトレマイオス朝(BC306ーBC30)のアレクサンドリアであり「世界の結び目」と呼ばれた。
世界・国の人口の中心が政治の中心となり文化の中心となる。百万人という人口臨界点(ティッピング・ポイント)を超えることにより、「知識革命」が起きる。
第一次知識革命:アレクサンドリア図書館
世界初の知識体系
人口百万人を擁したアレクサンドリアには70万巻に及ぶ文献を所蔵するアレクサンドリア図書館があった。世界初の知識体系と言うことができる。この膨大な蔵書が多くの知識人(科学者・哲学者ら)を産んだ。
アレクサンドリアが育んだ知識人
- ユークリッド(BC365-BC275、数学者・天文学者、幾何学の始祖)
- アルキメデス(BC287-BC212、数学者・技術者)
- エラトステネス(BC275-BC194、地理学者、地球の直径)
- クラウディオス・プトレマイオス(83-168、天文学者、天動説)
アレクサンドリアの破壊
紀元前30年、プトレマイオス朝はローマ帝国に滅ぼされ、アレクサンドリアはローマ帝国の保護下に置かれる。ローマ帝国が衰退し375年に東西に分裂すると、キリスト教徒により迫害を受け、5世紀初頭には破壊つくされ、ここに西洋の知識は失われた。
参考:「知識革命」体系
- 第一次知識革命:人類史上初の百万人都市
- 第二次知識革命:印刷革命
- 第三次知識革命:通信革命・コミュニケーション革命
- 第四次知識革命:IT革命(狭義知識革命)
巨大図書館建設を可能にした背景
巨大図書館の建設、膨大な蔵書を可能にした前提条件は主に2つある。
平和:その前提となる大帝国の繁栄
アレクサンドリアの建設と破壊
プトレマイオス朝の前身は、強力な軍事力を背景に世界初の大帝国を建設したアレクサンドロス大王率いるマケドニア朝であった。アレクサンドリアの地名も、アレクサンドロス大王にちなむ。
そして、のちにローマ帝国が崩壊して平和が失われると、異教徒の迫害に対抗するすべもなく、都市が破壊され、アレクサンドリア図書館も破壊されてしまった。
大帝国繁栄に裏付けられた平和こそが、巨大図書館建設を可能にした理由の一つと言える。
平和による繁栄は中国へ
そして、1445年にグーテンベルグが活版印刷技術を改良するまで(「印刷革命」参照)、ヨーロッパ文明は低迷することになる。
事実、コペルニクスやガリレイらが出現する16世紀まで、西洋の科学技術の進歩はストップし、その主導権は中国に移り(後述「百万人都市列伝」参照)、火薬や羅針盤などが発明される(「三大発明」参照)。
紙(パピルス)
(冗長性を避けるため、ここでは「パピルス」を含めて単に「紙」と呼称する。)
紙が出現するまで、知識は口頭伝承あるいは壁画による伝承でしかなかった。紙の出現により、知識の持ち運びが可能になり、「知識伝播速度」も向上した。
パピルスの普及期はちょうどプトレマイオス朝の開朝期(BC306)と重なる。中国での紙の発明は、少し遅れることBC150年ごろである。
百万人都市列伝
Wikipediaの歴史上の推定都市人口より、年代別の世界最大都市(人口百万人以上)を列挙した。
- アレクサンドリア BC100
- ローマ(ローマ帝国) 100年、200年、300年
- 長安(唐) 700年
- バグダード(イスラム帝国) 1000年、1100年、1200年
- 開封(北宋) 1200年
- 杭州(南宋→元) 1200年、1300年
- 南京(明) 1400年
- 北京(明・清) 1500年、1600年、1800年
- アユタヤ(シャム) 1700年
- ロンドン(大英帝国) 1900年
イスラムと中国の首都(政治中心)が世界の人口中心
これを見ると、ローマ帝国東西分裂後、世界の人口中心はイスラムと中国(唐・宋・元・明)の首都であったことが分かる。巨大人口により知識が蓄えれ、文化も花開くのである。
産業革命後
19世紀になり、いち早く産業革命を果たしたイギリスの首都であるロンドンは世界で始めて人口二百万人を突破した(1825~1850年の間)。
第一世界大戦によりイギリスが衰え始めると、戦後にはニューヨークが世界最大都市となった。
近郊も含めた都市人口は、1960年代、東京が世界一に躍り出、今日に至る。
「世界最先端都市」参照
脚注
移民により人為的に建設されたアメリカ・カナダ・オーストラリアでは、人口中心と政治中心が異なる。
改訂履歴
2010.05.08 大幅改定。言葉の揺らぎを統一
2010.03.19 リンク追加。誤記修正済み
2010.01.31 初稿
コメントはまだありません