良書

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良書の条件

未来を語る

良書とは、未来を語っている本である。

裏を返すと、現在古典と呼ばれる書は良書である。そこに書かれていることは現在でも有効であり、書かれた当時から考えると、現代という未来を語っていたことになるからである。それは、過去から現代までの人類の普遍の真理を語っていることになる。

このことは、ジャーナリストであり文筆家である立花隆が著書『「知」のソフトウェア』(1984年)で述べていることである。

あらゆる書は時代にもまれる運命にある。ある書は、時代に有効でなくなった途端、脱落し、人類の歴史から消え去っていく。そうして、良書は長い年月経って現代の人にも読み継がれている。

良書こそ、読書すべき書である。まず外れがないと言ってよい。

(ただし、あなたの現在の知識レベルではふさわしくない書もあれば、現代訳・翻訳によって出来栄えもまちまちである。古典は必ずといってよいほど、複数の訳者・解説者がいるので、Amazonレビューなどで評価の高い人を選べば、比較的間違いない。)

あなたにとっての良書を三冊、あげてみよ。

良書の具体例

孔子・老子・孫子などの中国の古典は、2000年以上経った今でも有効である。

明治時代に書かれた学問のすゝめは、今でも有効である。

"時の試練"とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。風化作用は言いかえると、忘却にほかならない。古典は読者の忘却の層をくぐり抜けたときに生まれる。

出典:外山滋比古 著 「思考の整理学」

時代の節目を超えた書

なにもそこまで古い書でなくてもよい。時代の節目を超え、価値観が変わっても読み継がれている書は、良書である。

たとえば、近代の時代の転換点といえば、第二次世界大戦やオイルショック、バブル崩壊などがある。インターネットの登場も時代の転換と言える。終身雇用の崩壊も価値観の転換点である。

仮にWindows95が発売になった1995年をインターネット登場の節目とする。知識を論ずる際、現在の書は、必ずインターネットの果たす役割についても言及する。

裏を返すと、インターネット普及以前に、知識の必要性や、知識ネットワークに言及していた書があれば、それはかなりの良書と言える。

日本で知識の必要性を最初に説いた書は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」である。これより古い書があるかもしれないが、「学問のすゝめ」ほど知られていない。

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