1853年

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エポックメイキングな出来事

黒船来航。

日本財団図書館の情報によると、ペリーの旗艦サスケハナ号の排水量は3824トン、日本の千石船の排水量が200トン、その差約20倍。日本人には見たこともないとてつもなく巨大な戦艦だった。

大河ドラマ「龍馬伝」でも、そのインパクトを伝えている。坂本龍馬は剣術を磨いても異国には勝てないと悟る。龍馬18歳(数えで19歳)。

江戸幕府が諸大名に意見を伺った。

黒船来航に対する対処を、老中首座・阿部正弘は諸大名に意見を伺った。ここで「龍馬伝」を見ていて次のことに気づいた。

実はこの意見伺いがきっかけで、大名の中にも家臣に広く意見を求める者が出てきたのではないだろうか?また、殿様に意見を陳情することが許される時代の雰囲気を醸成したのではないだろうか?「龍馬伝」の中では、下級武士の武市半平太の意見が藩主山内容堂に取り上げられ、武市半平太は大喜びするシーンが出てくる。

若者への思想形成の影響

この時代の変化によって、後に薩摩では西郷隆盛(26歳)や大久保利通(23歳)、長州では吉田松陰(23歳)、木戸孝允(20歳)や高杉晋作(14歳)の台頭ができたのではないだろうか?(年齢は1853年当時)これら若者に、黒船来航、この時代の変化はどのように写ったのだろうか?

関連リンク

日本財団図書館>船の科学館 資料ガイド4 黒船来航
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00915/contents/000...

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