ハハハこやつ、昨夜チャットで長門さんの魅力について熱く語っておるわ
いつも迷惑かけてスミマセン>チビノ
すまん、語るぞ
長門さん、というのはハルヒのヒロインなわけだ
「ああ女神様!」でもあるまいし、全能の神がヒロインというのは難しい
あくまでも「全能のもの」は「背景」でしかありえない
その前で踊るアメノウズメは確かに魅力的だろう、
その裸体は驚異的だろう
でもそれが「マスコット」と全能の神に定義されてしまってはどうなのだろう?
主人公のキョン視点でも、あくまでも「最終的に見えている」ヒロインはハルヒかもしれないが
「ともに戦い」「事件を共有する」存在は
「マスコットの」ミクルと
長門しかいないのだ
ここで長門の立ち位置を考えてみたい
長門は「オタク趣味を」「分かってくれそう」な存在なのだ
「ハイペリオン」を易々と「ユニーク」と読み、それに栞をはさむ存在なのだ
「ああこの趣味を誰か(女の子が)わかってくれないだろうか?」
という希望に対し、あからさまに反応を見せずに
「いい」
「ユニーク」
と
「受け入れてくれる」
「分かってくれる」
存在。
これは物語りにとっても、「読者にとっても」ヒロインでなくてなんであろう。
このあたり、谷川よりも
京アニの方が「わかっている」気がする。
次の「らきすた」
で、ヒロインを
「主人公のオタク趣味にあきれつつ」
「ゲーマーズなどにつきあってくれ」
「批判しつつも許容し」
「自身、ラノベの読者」であるかがみんにしたのだ!
主人公ではなく。
このあたり、ハルヒでの「視聴者を観察しての結果を反映して」のものではないか?
とはうがちすぎか
ふう
おわり
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