居室待機の最新の日記
<< 前の日記へ 一覧を見る 次の日記へ >>

 

よろしいならば戦争だ(ハーツオブアイアン2ドイツ・プレイレポその1)

最近、嵌りに嵌っている「ハーツオブアイアン」。
1ユニット1師団で各国を指導して世界大戦を戦い抜く、要は2次大戦前後の戦略級ウォーゲームなのです。

ハーツオブアイアン コンプリートパック(完全日語版)

難易度「超簡単」でプレイしながら何とかルールを覚えたので、今度は難易度等はすべて「普通」でやってみます。
開始年は1936年、担当国はドイツ。ハーツオブアイアン2・ドゥームズデイ・アルマゲドン 日語版インストール済み、最新版です。

今回はとりあえず中核州がもらえる史実に従って行動します。要はポーランド戦の1939年9月が開戦です。

ということで最初は内政です。
とりあえず年に一回しか動かせない政体スライダーを、中央計画経済の方に1つ動かします。(これ忘れるんですよね…年に一回しか動かせないので1/1に動かせばいいのですが、2年目以降は忘れちゃって1939年にはスライダーを動かす時期が9月になっちゃいました。ナニやってんだか。)
自由経済はクソ、中央計画経済で大躍進を目指します。一杯まで動かしたら徴兵制より常備軍に動かすつもりです。(忘れなければ。)

外交はとにかく物資を輸出して石油と希少資源を集めます。ソビエトさんが一番のお得意様です。

研究はなにせ「世界一ィィィィッ!」なドイツですので、適当にやっています。ていうか、実年代の開発年度にあわせれば不要なものも含めて全部研究できんじゃね?という勢いです。
ただし今回は空挺は使用するつもりがないので開発は行いません。

生産は今回はまずは富国強兵、全プロヴァンスに工場を建てます。
軍備は建造に時間のかかる空母はそれぞれの世代のものを1隻づつ建造するように放り込んだ後は、これまた建造に時間のかかる爆撃機、司令部を第一世代の開発が終わり次第に作成キューを出します。
まぁ後はゆっくり進めても何とかなるでしょう。(と思っていました。

以後は以下のようなイベントを眺めつつ指示を出します。

イベント:1936年2月戦争支持デモ→(対応)→ラインハルト(ケルン)進駐。
1936年7月スペイン内戦→介入。
1937年2月防共協定→日伊と締結。
1938年各反ナチ党大臣罷免→罷免せず。
1938年2月満州国承認→承認。
1938年3月オーストリア併合→併合。
1938年9月ミュンヘン条約→併合。
1939年3月チェコスロヴァキアの終焉→ハンガリーとの間で分割。(これによりハンガリー枢軸国入り。)
1939年3月メーメル割譲要求→要求。

この間、マジノ線に向かい合うように要塞を構築、要塞建築技術を開発すると+50%ボーナスがあるので、これを待って構築を始め、要塞強度を+2とします。
そしてこのあたりから陸軍の軍備を整え始めます。(今考えると遅かった…。

1939年8月モロトフ・リッベントロップ協定→独ソ不可侵条約締結。

さて、これがポーランド分割、世界戦争へのキューです。

1939年8月31日ダンツィヒか戦争か→戦争だ!

当然「ダンツィヒ回廊」の返還を、ポーランドに求めます。


戦争だよ…考えてもみたまえ君。きっと血みどろの戦争になるに違いない。 素敵だろう?戦争、戦争だよ。

さてここで様々なAARを読むと「ポーランド戦で80師団、独ソ戦で120師団あれば大丈夫」との記述があります。まぁそのあたりが「相場」なんでしょうね。
さてと、わが軍の陣容は

軽戦車師団3師団
中戦車師団3師団
歩兵師団約50師団
司令部:4ユニット

…あれ?少ない。少ないですぞ。司令部4ユニット宝の持ち腐れじゃね?よく考えれば歩兵の生産を真剣にしていなかった…まぁ航空優勢があるので大丈夫でしょう!
一方、航空ユニットは豪華です。

迎撃機:4航空団*2ユニット
戦闘機:4航空団*1ユニット
攻撃機:4航空団*1ユニット
戦術爆撃機:3航空団*3ユニット
雷撃機:2航空団*1ユニット

うん、豪華ですね。

とりあえずマジノ線に対しては要塞を強化しているし、それぞれのプロヴァンスに3~4師団、合計10師団でフランスを押さえ、残り全軍でポーランドに乗り込みます。

ところが…各種AARで予習したところによれば「フランスは消極的でファニーウォーと呼ばれる静かな緊張状態が続く」と書かれていますが、流石に10師団では「抜ける」と思われたのでしょうか、戦争開始と同時にフランス軍がマジノ線を飛び出し、猛烈な攻撃を仕掛けてきます。
いきなりピンチ
あわててポーランド戦線より半数の航空機を引き抜き、フランス戦線に送りますが、あっさりと突破を許してしまいます。
なんだこれ~。

ポーランド戦線も主力が集中する中部では順調に突破をしていきますが、北方が思わしくありません。ケーニヒスベルクでは敵に押し込まれ、あわや包囲殲滅の危機に…
アシカ作戦を見据えて作成していた輸送船団に助けられ、なんとか海上に逃れるという醜態を晒します。
しかも西ではフランスが押し込んでくるし…なんだこれ、米英&ソビエトではなくてフランス&ポーランドでエルベの出会いになっちゃうの?と
不安になりますが、とりあえずグデーリアンの軽戦車師団とロンメルの中戦車師団という豪華な面子がフランス方面救援に向かいます。(なのでポーランド戦線が余計に苦しかった。)

するとフランス軍は2プロヴァンス押し込んだところで進軍停止、機甲師団2師団を加えたフランス方面軍との睨み合いになります。とりあえず勝利ポイントのあるプロヴァンスを取られなかったので良しとし、再び航空軍を引き抜いてポーランド戦線に再投入します。
航空優勢があれば地力に勝るドイツ軍にポーランド軍はなすすべもありません。
ポーランドは見る見る蚕食され、開戦から2週間でポーランドは独ソで分割されます。

しかしポーランド戦に投入した師団は傷ついており、しかも約50師団ではフランスを蹂躙するにはいかにも少ない…せめてあと数師団…とポーランド戦線よりベルギー国境沿いに戦力を移動しながら戦力の拡充を待ちます。

(車両&小火器組み立てライン間に合わなかった…これが間に合っていれば…。)

時は10月、まだ歩兵55師団を数えるに過ぎませんが、冬が来てしまう前に何とかしなければなりません
今回はアシカ作戦を実施するつもりなので、時間がない!のです。
スターリンが来る前に英国を何とかしなければ…フランスごときに手間取っている場合ではない!のです。

というわけでルクセンブルク、ベルギーに宣戦布告、フランス戦を開始します。
(オランダにまではこの師団数では喧嘩を売る状態ではありません。)

ところがここで「マジノ線まで撤退するだろう」と思っていたドイツ領内に入り込んだフランス軍がフライブルク、フリードリッヒシャーフェンから動きません。その分、北方、マジノ線方面ががら空きに。
なんだこれ?
とストラスブール、ミュールズとマジノ線を打通、元マジノ線防衛フランス軍25師団をドイツ領内に封印することに成功します。
フランス軍も何とか連絡回復しようと猛烈な攻撃を仕掛けてきますが、ドイツ領内のフランス軍は包囲され補給切れに陥っており、呼応して包囲突破しようとする力も弱く、何とか反撃を打破、この方面に救援軍と合わせて35師団ほど拘束することに成功します。

こうしてフランス中部から北部ではドイツ師団数がフランスに対して優位となり、歩兵の生産をサボって作ってまで(ソビエト戦を見越して連続生産をかけていた)山岳兵が冬季を押して攻撃を続行、1939年12/7にはパリが陥落します。あらら、ポーランド戦に続いて史実より早いですね。

翌週にはヴィシーフランス成立、歩兵が足らず苦しかったフランス戦が終了します。
…ってあれ?こっちは領土返したのにヴィシーフランスさん、フライブルク、フリードリッヒシャーフェンは返してくれないんですか?
…「いつか殺すリスト」のTOPに記載してそのうち「ツケの領収書だぜ」と返してもらいましょう。

とりあえず次はアシカ作戦だ。
輸送船6隻で足りるかな?と不安ですが、春になればヴェーゼル演習作戦で輸送船が3隻いただけるので大丈夫でしょう。
予定としてはそれまでに航空作戦でロイヤルネイヴィーを削っておいてこの9隻を持って「かくてアシカは英国に上陸する」予定…でしたが、輸送船6隻で行けそうなら冬季ですが山岳師団もいるしアシカ作戦を前倒しして実行、目処が付いたところで1年早く独ソ戦を始めるというのも魅力的かも。石油がないのよ~バクーがいるのよ~。

(以下明日。このゲーム時間削られるわー。)

コメント

コメントはまだありません

コメントできません (ログインするとコメントできます)