散兵戦術の履歴

近代戦はそれまで行進して後の横隊射撃(ずらりと銃を並べて号令にあわせて弾幕を張る)が主流であったが、アメリカ独立戦争でのアメリカ軍は正規戦力の数を欠き、それだけの銃火を集中させることが出来なかった。
そこで、広い面積にポツリポツリと兵を配置し、各個に目標を攻撃することとした。
これが戦術として非常に有効であったため、後の戦闘では散兵戦術が主流となる。

アメリカ独立戦争1775年 - 1783年後の戦闘をいくつか検証してみると

ナポレオン戦争1803年 - 1815年
では戦闘に不慣れな市民軍をヨーロッパを蹂躙するだけの戦力とし

クリミア戦争1854年 - 1856年
では英軍(当時の制服は赤色)の薄い戦線(シン レッド ライン)が露軍の突撃を撃滅し

鳥羽伏見の戦い1868年
では数で劣る維新軍が幕府軍の突撃を撃退している。

苦肉の策として採用された散兵戦術が、市民軍たるナポレオン軍に採用された後、正規軍にも使われるようになり、さらに(銃砲による)再軍備をはじめたばかりの日でも有効に使われているのが面白い。