3月17日の履歴

2001年


1ドル122円ぐらい

2000年


今日の走馬灯・コンピュータその1

  • マイコンブームがおこったとき、私は小学生だった。当時私は「子供の科学」を愛読し、ラジオを作ってみたりする子供だったので、もともとそういうことに興味があったのだと思う。はんだ付けを教えてもらった中嶋さんの兄ちゃん(当時高専の学生)に連れられて籠に抵抗やダイオードを選んで入れてはそれを買うという楽しみも教えてもらい、日橋の電気屋街にもなじみがなかったわけではない。
  • それでどうも世間ではマイコンというものがあるらしい、ということをCFや雑誌記事で知り、日橋に行って店頭展示品を触ったりしていた。当時マイコンを持っていなくて店頭で延々マイコンを触っている子供達は結構数がいて、ナイコン族などと呼ばれていた。私もその一人だったわけだ。I/Oやマイコン・ベーシック・マガジン(略してベーマガ)を立ち読みし、たまには買ってそのプログラムをうちこんでみて、正しいプログラムを入れれば必ず正しい結果が出、1キャラでも打ち間違えると絶対に正しい結果が出ない世界に衝撃を覚えた。
  • ここには「まぁまぁいいでしょう」「がんばったからまぁ良しとしましょう」というなぁなぁの感覚は全くなく、少しでも間違えれば当然のように「ピー」とブザーが鳴って「Syntax Error」「Illegal Function Call」と(小学生にとってはただの呪文である)エラーメッセージが出てプログラムは止まり、「ダメ、間違い」と教えてくれる。しかしだからこそ自分のうちこんだプログラムが動けば、無上の喜びを感じたものだった。
  • さて、しばらくしていよいよ私の身近にコンピュータを買ってもらう友達が出現する。シマズくん(お父さんは画家)である。彼が買ってもらったMZ1200K/E、正方キーボードのマシン、中学入学まで私はシマズくんの家に行っては延々とこのマシンで遊んだ。


(一応注釈をつけておくが、正方キーボードとはキーが通常のキーボードのようにずれて配置されておらず、碁盤の目のように配置されているもので、現在は誰が考えても使いにくい代物だ。当時は黎明期ゆえか、さまざまな変なデバイスがあった。50音配置のキーボードなんてものもあったし、これはデバイスではないが日語ベーシックというものもあった。この2つは両方「ぴゅう太」というコンピュータが実装しており、単純に英語の命令文を日語に置き換えてものだった。例をあげると「print a」→「かけ a」「goto 1200」→「いけ 1200」という感じだ。…知っている人には解説に必要もなく、知らない人には何のことかわからない解説でしたか。 )

  • 物心ついたときに始めてみたコンピューターゲームといえばこれのどこがテニスか、というテニスやせいぜいがブロック崩しであった。確かに自分がダイアルを動かした通りにバーが動くのは面白くもあったが、これならばデパートの屋上に置いてあるのアトラクションの方が面白いと私には思えた。音や手応え、見た目、すべてが劣っていた。潜望鏡を覗いて遠景に動く模型の戦艦に魚雷を発射するゲームや、アニメで動くエイを水中銃で撃つゲームをされたことはあるだろうか。コンピューターテニスよりこちらの方が断然面白いと今でも思う。
  • さて、これがいつであったか判然としないが、確かインベーダー以前であるから小学校2年ぐらいか、「これはコンピューターでなければ出来ない」というゲームに出会い、衝撃を受ける。場所は通天閣の展望台、そのゲームの名は「コンピュータースペース」である。
  • 当時は慣性などという理論は当然知らない。しかし、流れるように動く宇宙船、迫り来る弾丸(1ドットの点)、すべてが物に見え、ディスプレイの中に私は確かに宇宙を見、線画の四角や三角に物の宇宙船を見た。