5月18日の履歴

2007年

箕面の滝、人工滝に/バカ大阪ニュース[大阪]


箕面の滝「人工の滝」に(産経新聞/WEB魚拓)

 大阪府北部の箕面市と大阪市内方面を結ぶ有料道路「箕面グリーンロード」のトンネル工事の影響で、景勝地として知られる箕面大滝の水量が減少していることが17日、分かった。事業主体の府道路公社では、ポンプでくみ上げたわき水を滝の上流などに返しているが、水量を維持するのに年間3000万円の電気代が半永久的にかかるという。トンネル工事をめぐっては地元でも賛否が分かれており、「無駄な開発で、自然の滝が電気仕掛けの人工滝になってしまった」との声も上がっている。

ば、バカすぎる・・・。

環境か、利便性か-。開通後も論争が続きそうだ。

いや、環境をとるなら計画の時点で、もしくは調査した時点で止めるべきだったし、利便性をとるなら、箕面の滝という観光資源を放棄するべきでしょう。

利便性をとりながら箕面の滝も維持しようとするからおかしなことになってしまったわけで。

しかもこの年間維持費3000万円というのは電気代ということで、観光地としての箕面はもちろん現状維持なだけですし、公共工事などではないので、(関電以外の)どこの業者の懐も潤わない誰も得しないという恐るべき予算なわけです。

年間3000万円の予算があれば、例えば「ライトアップされています」と言いながら、途中の登山道の少ない街灯も増加できたでしょうし、その公共工事で地元業者も潤い、箕面の滝の観光資源価値も上がるという使い道もあったでしょう。

でも、もう、水は枯れてしまったわけですな。

ポンプで水を汲み上げて滝ですか・・・山をペンキで緑に着色して「緑化した」という中国人をもう大阪人は笑えないですな。

2004年

ファイナルファンタジー(映画


下のほうで思いっきりネタばれています、注意。
まぁこの映画の主眼は「CGを楽しむ」だから別にいいかも・・・。
しかしストーリーやCGよりも、始まった瞬間「ファイナルファンタジーなのに英語かよ?!」と驚愕&呆然。スクエアを支えてきたのは俺たち日人だろ・・・日語のを作ってよ・・・。

いきなりだが映画ではなくてゲームの話をする。
ゲームのファイナルファンタジーは7かな?クラウドとセフィロスが出てくるのまでしかやっていない。
キャラの頭身が2頭身から5-6頭身まで伸びたところで、「ああ、これは俺の分身じゃない。確かに、クラウドだわ。」と思って感情移入できなくなってしまったのだ。2頭身のキャラは「これは記号だな」と明確に判り、「俺の分身だ」と感情移入できるが、それが人間の形に近づくと、スクエアの作ったキャラであることがより強調されてしまうように感じたのだ。
絵はどんどんきれいに、リアルになっていくが「ボタンを押して進める映画」を見ているようなゲームなのに世界に移入できない、手出しできない感が強まっていくように思えたのだ。

そして、映画のファイナルファンタジー。
(どこがファイナルファンタジーなのかよくわからないが、)ついに「ボタンを押さなくてもオープニングからエンディングまでCGムービーが流れるファイナルファンタジー」が出来上がった。
スクエアが目指していたものとしては多分これで正解なのだと思う。
しかし自分がFF7で感じた疎外感はより強調され「のめりこめない」映画になってしまっている。
出てくるキャラは人間をCGに置き換えたもので、「人間としても感情移入できないCGという絵ですらないデータ」だし、2頭身の愛らしいキャラに感じた自分との一体感も無い。
ついでに言うと、キャラがCGでなければならないようなアクションなどをしているかというと、全然していない。「これがCGでなければならない理由は何も無いよな・・・。」と思いつつ、CG自慢のムービーを多用するようになるのとほぼ比例して、自分に感情移入を許さなくなっていったゲームのFFの歴史を思うと「確かにこれがFFの完成形かも」とも。

ストーリーは結構面白いです。
謎の地球外生命体ファントムによって滅亡させられる寸前の人類(なんと、ここまでテロップで説明してしまう。そりゃああかんやろ・・・。)を救うべく、科学者アキは、世界に散らばる8つの“精神体”を集めようとする。
というゲームチックな展開なのですが、最終的には「すべての生き物はガイアより来てガイアに帰る」「ファントムは実は滅亡した星のガイアの幽霊」という種明かしとなります。
が、808万柱の神々のいる日人ならともかく、唯一神のアメリカとかイスラムな方々には受け入れられないストーリーのような気がします。
映画として不出来というか小粒ということもありますが、全くヒットしなかったのはそういうこともあるんじゃないかと思います。

2002年


5/17日経MedWave【投稿】 私は保険医指定を取り消された医師です

これがコイズミ改悪の「痛み」?
大体、3方1両損って、「ない筈の3両が2両になって戻ってきた」という意味では民間の「2方1両得」、「国庫に収めることもできた3両にさらに1両身銭を切った」オカミの「1方4両損」で計算合うんだよね。
コイズミ改革は逆だからな。オカミだけが得をして、民間はオール損。

この際だから書いておくが、医療の「不正請求」の「不正」は一般で言う不正ではない。
漢語風に「正しくない」ということなのです。だから、書類の書き間違いとか、提出先間違いとか、そういうのも全部「不正」。まんま「正しくない」ってこと。
他のものに例えると、テストで100点万点中80点なら「20点は不正だった」(@厚生省用語)ということになるわけですね。
だから、とある高校のセンター試験平均点が60点なら、「某高校のセンター試験は100点中40点が不正!」という表現になるわけです。
んでしかも、その高校のなかに例えば某新聞が取材できたコがいて40点だったとすると「なぜか」「某高校のセンター試験は60%が不正な試験であった!」という新聞報道が踊るわけです。
某高校を医者、センター試験を保険請求と読みかえると、こういう報道はよく目にしますよね。
わざわざイメージのよくない「不正」という言葉を別の意味で使うってのはネガティブキャンペーン以外のなにものでもないと思うんだけどなぁ。それこそ「不正」だよ。そこの朝日新聞

1999年

CDR発注、100枚で12600円