6月10日
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2009年
水曜日
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2004年
6/1放送の 黄金筋肉で人は一週間で何回腕立て伏せが出来るのか? 「腕立て会」 という企画をやっていた。お笑い芸人・品川庄司が挑んだ結果、6142回。
というわけで、漏れも「お笑い芸人が1週間で6000回なら、1ヶ月で10000回は楽勝だろう」と過小?とも思える目標を立て、やってみることにしました。
2003年
今日のイタリア軍
パウル・カレルの「砂漠の狐」によれば「間抜けなイタ公」が弱腰で戦線に大穴があいたというのは誤りで、イタリア軍は貧弱な装備で必死に奮戦した、とある。
パウル・カレルって枢軸国に寛容だからなぁ・・・と思いつつ読んだ
歴史群像2002年12月号「ビバ!イタリア軍!」
1935年の第2次エチオピア戦争について書いてある。
第2次エチオピア戦争はロンドン密約を反故にされたイタリアの暴発・・・かな。
エチオピア侵攻(1935-1936年)
エチオピア (6)エチオピアとニッポン
さて
「戦車約150両、航空機約150機を揃え、イタリア陸軍の限界に 近い20万の大兵力を送り込んだ。
対するエチオピア軍は戦車ゼロ、軍用機もゼロ、軍の大部分は部族 単位の非正規部隊」
ということですが、このときの映像がありますね。航空機というのも爆弾倉を持つ爆撃機のようですし、ちゃんと砲兵も随伴しているようです。(画像に出ているのは小口径の…日本軍で言う山砲かな?)
20万人って14個師団だっけ?数が合わないか?当時のイタリア軍は1師団8-9大隊編成でしょうか。
本気も本気、総力戦です。これでさらに重要な時期に(1935年)体力を消耗する間抜けなイタ公。
しかしながら
「すぐにエチオ ピア軍の巧みな機動によって包囲分断され、いきなり総崩れ」
…イタ公という呼称すら勿体ないな。…痛項かな。
戦車持っていて機動戦術で包囲分断されますか。
要は歩きに負けちゃったわけですね。流石アベベの国。
このときイタリア軍が使用していた主力はL3カルロ・ベローチェ なのですが、対戦車兵器を持たないエチオピア軍に対しては、中国軍に対する95式軽戦車のように有効だったはず。火炎放射器装備型も持って行っていたようなので、対人戦闘にはかなり有効だったんじゃないかと思うのですが…中の人が痛項では。
よく考えれば不正規兵が機動戦術で包囲殲滅戦術というのもちょっと不思議な感じがするので、もしかすると痛項が防御陣地に勝手に逐次突入して来て包囲されちゃったのかもしれません。
しかしこれにぶち切れたムソリーニは毒ガス戦で住民兵士を虐殺(上述のように、エチオピア軍は非正規部隊なので、1925年のジュネーブ議定書違反の「可能性」のある毒ガス使用はよろしくないが、住民と兵士の見分けはつかなくて当然。ベトナムで米兵が住民を虐殺しまくったのも、住民に銃を持たせた北の責任でもあるといえる。)、航空機支援もあって首都に迫る!
ムッソリーニの毒ガス-植民地戦争におけるイタリアの化学戦
しかし、悪天候で航空機が飛べない中、
「農林省大隊、畜産省大隊、郵政省大隊などの6個大隊1.1万人(重火器は小数の迫撃砲のみ)で編成された公務員部隊に進出した2個師団があっさり撃破され」
「唯一の複合部隊である皇帝親衛隊が防衛に加わり、イタリア軍は防衛一方になり」
猛ピンチ!
しかし天運はイタリアにあり、天候が回復し、自由に飛びまわる空軍の活躍でこれを なんとかしのぐことになんとか成功。親衛隊ついえたエチオピアにもはや反撃の手立て無く、ついに開戦より7ヶ月かけた総力戦はイタリア軍の勝利に終わった。
それにしても、けちらされた2個師団って18個大隊ぐらいだから、ちゃんと公務員部隊の3倍いるんですよね。しかも、エチオピアって現在でも国民一人あたりのGNPが100ドル以下の最貧国なんで、その急造部隊の装備って高が知れてると思うんですが。
パウル・カレルさん、イタリア軍は圧倒的に優勢な装備人員を持ってしてもこんな感じなんですけど。
… ナニがあってもイタ公とは絶対に組まねぇ。
イタリア王国軍の雑多な資料ページ
2002年
サッカー対ロシア戦、勝利。
日露戦争の対馬沖開戦の再現じゃ!自信満万で来たバルチック艦隊は日本海に沈みました。ということを全国で2000万人は思ったに違いない。
1999年
今日のニュース
長銀元頭取逮捕
ユーゴ空爆停止と防衛医大占拠事件
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