6月17日
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2009年
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2005年
古墳破壊:ドコモ関西[雑記]
ドコモ関西が古墳を破壊 無届けの基地局建設工事で
http://www.sankei.co.jp/news/050616/sha041.htm
この記事には載っていないが、紙の新聞によると、この手の工事の場合、3つぐらい許可申請しなくちゃならないらしい。
で、未許可を指摘されながら、見切りで工事を開始しているところから見ると、
文化財保護法などの届け出をしないまま
工事を始めたのはわざとくさい。
大体、写真を見れば一目で古墳か遺跡か・・・なんか周りと違うのは見れば分かるわけですから。
ドコモ関西も、業者も、文化財保護どうこう以前に、もう少し「畏れ」を持ったほうがいいんじゃないかな。バチかぶるぞ。
2003年
今日のイタリア軍
今日から(1週間前から?)このサイトは超攻撃的イタリア軍サイトになりますた。
今日の、超フォルツァ!イタリア Shin 2003/06/16 20:04 Res No 3384 Jump2delete
>走破性重視した戦車「のはずだった」に変えときなさい。
異議あり!これはイタリア軍に対しあまりに酷な物言いかと。
なんせエチオピアの半分くらいは山嶺重畳のアビシニア高原ですから、どんな
戦車でも走破できないと思いまする。むしろ一応なりとも山岳地帯に戦車を
持ち込んで何ヶ月か動かしただけでも、1935当時のイタリア軍の補給部隊は
超頑張った!のでは、と思うであります!! 1940の北アフリカ戦緒戦で
進撃6日くらい(だったよな?)で「補給切れ、停止(しかもそのまま3ヶ月)」
したのに比べればですが。
ちなみにマジ弁護いたしますと、戦後の1949あたりにエチオピアはCKDの
P-1(改造で型式は変えてあったはずですが)を輸入してます。P-1改造
でも所詮機関銃搭載の軽戦車ですから、CVと同レベル 。30年代の戦車を
戦後に購入するくらいですから、エチオピア軍はよっぽどCVに痛い目にあっ
たんでしょう。
「皇帝陛下!欧州の戦訓を見ますに、これからは戦車であります!是非我が軍にも!」
「すまん、親衛隊長、金が無いのだ。」
「ではせめてイタ公の使ってたあの装甲車を。この際、装甲と火力は
無視軽視して頂いて結構ですので」
という感じのやりとりが戦後にあったと想像。あれ、弁護してない?
- ・・ところで「カンネー包囲殲滅戦自作自演。」ということは、それはそれで、
「ローマ帝国の再来」 に間違いないので、ドーチェ閣下的にはOKなのでは?
- 1936年にイタリアに占領されたエチオピアは1941年に独立回復していますが、そのときにイタリア軍の装備が残っていたのではないでしょうか。
メンテナンスや修理を考えれば、同系機が揃っていた方が有利ですから、貧乏国としては「現状ある同型兵器を輸入する」というのは、性能はともかく「動かす」ということについてはかなり堅実な政策であると思います。
- 1939年度の戦車、自走砲の生産台数はこうなっています。
イギリス:969両
ソ連:2950両
ドイツ:247両
イタリア:40両
よくエチオピア戦争で150両揃えたよな。
- さて、エチオピア戦争でイタリア軍が戦車をどのように運用したのか知らないのですが、グデーリアン以前のしかもイタリア軍ですから、戦車は歩兵に随伴していただけだと思われます。
150両とはいえ、20万が進撃したのですから、1両当たり1333人…やはりイタリア軍にしても戦車はまれな兵器だったのでしょう。その数や兵装などから考えるに、多分師団付きの重機関銃中隊のような感じで、集中運用はされていないでしょう。(全くの勘)
対戦車兵器の少ないエチオピア軍相手ですから、歩兵との共同作戦も取っていればそれほど苦戦することは無かったと思うので、多分、戦車は歩兵の随伴無しに突出しては肉薄攻撃で破壊され、その後にようやく現れた歩兵は重機関銃でバタバタ死体の山を築くという戦法?だったような気がします。(全くの勘)
いや、ひょっとすると戦車は馬で曳いていたのかもしれません。(全くの勘だけど、鋭いような気がする。)
- 参考に昨日も触れた 〈歴史群像〉第二次大戦欧州戦史1]ポーランド電撃戦 から、ポーランド戦当時の独軍第一機甲師団第一戦車大隊の戦力定数指標に基づく編成を示します。
大隊本部
大隊本部小隊:3号戦車*1、2号戦車*1、3号戦車*3
大隊本部通信小隊:3号指揮戦車*1、1号指揮戦車*1、3号戦車*1
第一中隊(a型軽戦車中隊)
本部:1号指揮戦車*1、1号戦車*2
第1小隊:1号戦車*5
第2小隊:3号戦車*3
第3小隊:4号戦車*3
第4小隊:4号戦車*3
第2中隊(軽戦車中隊)
本部:1号指揮戦車*1、1号戦車*2、2号戦車*1
第1小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第2小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第3小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第4小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第3中隊(軽戦車中隊)
本部:1号指揮戦車*1、1号戦車*2、2号戦車*1
第1小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第2小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第3小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第4小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第4中隊(軽戦車中隊)
本部:1号指揮戦車*1、1号戦車*2、2号戦車*1
第1小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第2小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第3小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
第4小隊:1号戦車*2、2号戦車*3
えっと、参考にも何もなりませんな。しかしながら、これは理論値でありまして、実際には4個中隊編成ではなく3個中隊しかなかったそうですし、3号4号戦車もちゃんと揃っていたわけではないそうです。
独軍は編成も凄いですけど、要は運用が凄いわけですよね。
イタリア軍は編成もモノ凄いですけど、要は運用もモノ凄いのと同じですよね。
兵器生活/「紳士に非ず」 伊太利亜軍人からの手紙
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