11月9日の履歴
2009
【120pedia】困難は120文字以内に分割せよ
今日はライフネット生命副社長の岩瀬さんの講演を聞きました。
岩瀬さんにとって「直感」とは
「潜在意識に保存された情報も統合して算出された最も論理的判断」
だそうで、とても共感しました。
けっこう様々な経営者の方に
「マインディアにこだわることが西小倉君の可能性を潰してるんじゃないか?」
と言われるんですけど、
やっぱり僕は直感的にマインディアやっていきたいと思うし、
それは2004年にWikiに出会ったときはうまく言語化できなかったけど
たくさんの人に説明し続けることで少しずつ言語化できるようになってきた。
これだけたくさん面白いものに触れながらも
いまだににマインディアを一番やりたいと思ってるんだから
たぶん今後も続くと思います。
で、最近120pediaを作ってて、さらにやりたいことが明確になってきました。
大学の卒業論文でWikipediaを調べていた時
- Wikipediaには「中立的な観点に基づいて記述されなければならない」という考え方がある
- Wikipediaの「中立的な観点」とは「立場を明確にした主観」らしい
- 例えば「神は存在する」と書かれるとガイドラインに沿っていないので削除される
- 一方「トマスアクィナスは神は存在すると信じていた」というのは削除されない
- やったことないけど「西小倉宏信は神は存在すると信じている」と書いても消されると思う
- 「トマスアクィナス」と「西小倉宏信」の違いってなんだろう?
- それって「知名度」などのとても曖昧な領域ではないのだろうか?
- マインディアで個人の主観を集めることはWikipediaの逆側の行為ではなく、Wikipediaの延長線上にあるのではないか
などと考えました。
でもこれってよく考えると
図のようにWikipediaよりもさらに
下のレイヤーに位置し、
Wikipediaよりも壮大なプロジェクトにする必要があります。
これは僕のライフワークとして
長い時間かけて挑戦したいと思うのですが
120pediaを作っていて
「これってWikipediaの上のレイヤーにアプローチするってことやん」と思いました。
120pediaの「神様」のページには「西小倉宏信」はもちろん「トマスアクィナス」すらも載らない。
絶対的事実だけが載る。
「トマスアクィナスは神は存在すると信じた」
という「事実」は
TOP > 宗教 > 神様 > 神様を信じていた人々 > 神様を信じていた人 > トマスアクィナスの信仰
TOP > 人物 > 神学者 > スコラ神学者 > トマスアクィナス > トマスアクィナスの信仰
みたいなページでやっと読める。みたいな。
1600年代、デカルトさんが
「困難は分割せよ」って言ったらしい。
それから400年以上たつけど、
もっと世の中のあらゆる情報を細分化できるのではないでしょうか。
TOP > 家具 > 食器 > 栓抜き > 栓抜きがない時の栓の開け方 > 栓抜きがない時のライターを使った栓の開け方
などがあって、それらは必ずしもトップページを経由しなくてもよい。
たくさんある伝えたい事を無理やり詰め込んで恐縮ですが
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
2005
フィリピンスタディーツアー教育班の映像を作った。