仕事の履歴

自分にとって

出来ないと苦痛。陰のスパイラル。
出来ると快感。陽のスパイラル。

そして、両者を分ける要因は案外単純なことが多い。

つまり、苦痛に感じた時は損をしている事が多い。
些細な工夫で快感に変わる。

仕事はゴムのようにやわらかい

人生の中で家族、健康、友達、精神の4つはガラス玉のようなもので
割れたら取り返しがつかないことが多い。
「仕事」だけが取り返しがつく。
→ただ、仕事がその4つを傷つける可能性はある。。。


茂木健一郎さんにとって

僕は仕事の理想とは
「全人格的な満足が得られるもの」
だと考えています。

宇多田ヒカルにとって

ミュージシャンは、
普通の人が麻痺していいことや
麻痺したほうが健康なことを、
麻痺せずに感じ続けなくちゃいけないことが
仕事なんじゃないのかな。

点―ten― P272 より

身も蓋もない仕事の法則 - 分裂勘違い君劇場

  • 「単なる知り合い」と「人脈」は全くの別物である。人脈とは、自分のことを高く評価してくれる権力者のことである。
  • 20代の時にあちこちに恩を売りまくっておけ。そいつらはいろんな組織で成長して権力を握り、30代半ばには、強力な人脈になる。
  • 自分とは違うタイプの優秀さを持った人間を「無能だ」と決めつけて切り捨てるのは、致命的な機会損失である。
  • 客観的なビジネスプランはたいてい役に立たない。自分の熱い主観を企画書にぶち込め。
  • みんなの良い意見を集めても魅力的な企画にはならない。優れた企画は、たいてい誰かの個人作品である。
  • プライドも建前もかなぐり捨て、身も蓋もない真実を徹底的に追いつめると、人々の感動を生むビジネスプランが出来上がる。
  • 「好きなことをやる」ことではなく、「やりたくないことをやらない」ことを優先しろ。
  • 自分の欠点だと思っていることが、他人から見ると長所になることは意外に多い。たとえば「自分の意見をもたない」人が「他人と衝突しにくい」という点が評価されて、組織の長に抜擢されたケースがある。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080410/1207806673

リリーフランキーさんにとって

オレは最初から、「何でもやれますよ」と言っていました。それで来た仕事を全部やってきた。「その仕事は自分のイメージに合わないから」なんて言わない。仕事は断りません。それで必死に取り組む。だって、わざわざオレのことを探してきてくれた人の依頼を断るなんて、失礼じゃないですか。ただ、時にはお互い失敗もある。物理的な時間を超えて仕事を受けてしまうので、パンクすることもあるんです(笑)。

プロ論。2 P100  より

本田宗一郎さんにとって


稲盛さんが京セラを作って間もないころ、
本田宗一郎さんという高名な経営者の話を一度聞いて思いと思って
かなりの大金をはたいてセミナーに参加。
当日登場した本田さんは浜松の工場から直行してきて
油のしみた作業着で開口一番にこう一喝したそうです。
「みなさんは、いったいここへ何しにきたのか。
経営の勉強をしにきたらしいが、
そんなことをするひまがあるなら、
一刻も早く会社へ帰って仕事をしなさい。
温泉に入って、飲み食いしながら経営が学べるわけがない。
それが証拠に、
私はだれからも経営について教わっていない。
そんな男でも会社経営ができるのだから、
やることは一つ。
さっさと会社に戻って仕事に励みなさい」
と。


生き方―人間として一番大切なこと P101  より

三井物産にとって

ドリコムの新井さんから見た内藤さんにとって

その場で内藤社長は、ほとんど一方的にブログについて熱く語っていましたね。このあまりの情熱から察するに『この人は仕事を楽しんでいる人だな』と、ますます仕事に興味を覚えました。

http://ascii.jp/elem/000/000/066/66917/index-2.html

ろくに働いてないのに月収60万円の人にとって

人と話をすることと営業には、確かに自信がある。
でも、結局は、相手が喜んでくれる仕事を、
適正なコストで提案できるかだと思うけどね。

http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1858.html

UEIの清水さんにとって

http://shi3z.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/uei_161d.html
にて

  • 人の嫌がることを進んでやろう
  • 嫌々仕事をするのはやめよう

と決めていたそうです

たとえば、19世紀の鉄道会社に勤めるある電信技師の話をしましょう。
当時、電信技師といえば花形職業と言われていました。今のIT企業と似ています。

その花形職業である電信技師の仕事は、しかしひどく退屈なものでした。
決められた時間に決められた信号「異常なし」を隣の駅に送るだけ。

まだ若かった彼はすぐに飽きてしまい、かわりに自動的に電信を送る装置を作りました。これはすぐに上司に発見されて怒られました。

それでもめげなかった彼は電信用中継器をどんどん改良していき、最後は電信された電文を文字として表示する電信表示器を発明し、特許を取得します。

その特許を大手電信会社に売却し、それを元でに彼は自分の工場を作りました。

もう誰だかお解りの方も多いかも知れませんが、これは20代前半のトーマス・アルバ・エジソンの軌跡です。

驚くべきことにコンピュータの仕事というのは、ほとんどがとても地味な仕事です。
僕はもともと3Dコンピュータグラフィックスを専門にしていたのでよく思うのですが、画像が1ピクセルも表示されないサーバープログラミングというのはとてつもなく地味な仕事なのです。

http://shi3z.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/uei_161d.html

坂本龍馬曰く、最後の完成は他人に譲る

仕事というものは全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰でも出来る。その二分人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。

http://twitter.com/ryoma2/statuses/11914690583