居室待機の最新の日記
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入院の顛末

始まりは土曜日の肋間神経痛様の痛みでした。
今までも肋間神経痛(確定診断はないのですが…)様の痛みは時々あったので

「またか…」と言いながらも、午前の仕事は普通にこなしましたが、午後は完全休養としました。
夜も痛みで時々目が覚める程度の軽い痛みで、痛みで眠れないなどということはありませんでした。


ところが日曜日には痛みが心窩部にきて、きつくなってきました。

今日も完全休養だな、とゲームをしたりDVDを見たりダラダラ過ごしていましたが、午後5時ごろ、来客があったので玄関まで出ようとしたときに
「あれ?足が立たない?」
と膝の痛み、脱力をはじめて実感しました。

筋肉痛様の痛みだったので「インフルエンザ来たかな?嫌だなぁ…でも、鼻症状も熱も無いんだけどなぁ?」と寝ていましたが、心窩部と足の痛みは段々きつくなってきました。「インフルエンザで心窩部に痛み来るか?」
と疑問に感じながらロキソニンを服用してみましたが、痛みは全く減退せず、むしろ強くなってきます。
そして午後10時前、心窩部の痛みで呼吸もしずらくなって来、ついに「あー!あー!あー!」と声を出さないと息が吐けないほどの痛みとなってきました。
呼吸は早く浅くなり、ますます息苦しく、手足がしびれ、テタニー症状を呈してきました。「やばい、呼吸性アルカローシスだ、過喚起やん…息を大きく吸え!」と自分に言い聞かせますが、心窩部の痛み激しく、「あー!あー!」と呻く?というか叫ばなければ息ができません。
そうこうしているうちにも心窩部の痛み、足の痛み、過喚起による呼吸のしにくさはどんどん悪化していきます。
ロキソニンをクッピーラムネのようにかじってみたところで、まさにクッピーラムネをかじるがごとく、全く痛みは減退しません。
痛みは波が寄せては引くように襲ってきては過喚起を引き起こし、しばらく耐えていると引いていく、と間欠的なものでした。
「朝まで何とか…」と思いつつ、時計をにらんで痛みに耐えていましたが、段々と痛みが増悪していくような気がします。しかも時計の針は全く進みません。

これはダメだ、と夜間救急診療所にタクシーを走らせることとしました。

受付を済ませ、長い診療待ちの列に並びます…が、ここでまた痛みが憎悪、「あー!あー!」と叫びながらの過喚起が始まります。
「何事?!」とナースが飛んできて、緊急に診療してもらうことになりました。
ここで心窩部と足の痛み、過喚起を訴えたところ、心電図、胸部の写真により心臓の方を見てもらいました。
Dr.「う~ん、わかんないね。」
私「はぁ?」
Dr.「心臓のほうには問題ないね。」
私「この心窩部と足の痛みはなんでしょう?」
Dr.「わかんない。でもさ、一番心配な心臓のほうは問題ないからさ、かえって安心して寝てくれれば良いと思うよ。」
私「そう…です…か…ときに、この痛みは、ロキソニンを飲むぐらいしか仕方が無いのでしょうか?」
Dr.「そーだねー。」
私「わかり…ました…明日、かかりつけの医者に行きますので、レントゲンと心電図のコピーをお借りしたいのですが…。」
Dr.「いーよー。お大事にー。」
ということで、この場はそのまま帰りましたが、痛みは全く減退せず、朝まで間欠的に襲ってくる痛みとそれによる過喚起症候群に悩まされながら、まんじりともせず月曜の朝を迎えました。

そして月曜の朝、ヨメに「今日は休む、立てない、呼吸が出来ない。」と後を頼み、痛みが引いて多少は歩ける?という時期を狙って、朝8時30分にかかりつけ医院にかけこみます。

最初に検尿をしてもらいましたが、ほぼすべてのマーカーが反応を示し、特に糖が+++を示します。
「糖尿の急性発作かも?」と血液検査をしますが、血糖は170を超える位でした。
「あれ?…これでキツイ心窩部と足の痛み…ゴメン、わからないわ。頭の中に病名が全く浮かばないわ。ただ、大きい病院ならすぐに検査とかにまわしてくれると思うから、ちょっと聞いてみますね。」
とDr.に赤十字に連絡を取ってくれました。
私のほうはここでまた痛みが酷くなり、全く動けなくなってしまいました。
「かなり痛むみたいやね…ボルタレンのサポ50入れましょうか?」「お願いします…」
とボルタレンサポ50を入れてもらいますが、これがまた全くの無効。
全く痛みは減退しません。
医院のベッドでうなっている間に何度も赤十字に連絡を取ってもらいますが、1時間半ほどすったもんだした挙句、結局赤十字は断ってきたようです。
「ゴメン、次に警察病院聞いてみるから。」
と、警察病院に連絡を取ってもらい、こちらでOKをもらいます。
「歩ける?無理やね?救急車呼ぶわ。」
と、午前11時、警察病院に救急搬送されました。
(救急車のサイレン音の何と頼もしいことか…「これで助かる…!」と救いの音でした。)

この搬送時点で心窩部、足の痛み激しく、足の麻痺もあって移動は全く無理、移乗もかなり難しくなっていました。
警察病院に到着後、すぐに救急部で心電図、血液検査、X-P、エコーなどをとってもらいます。
「この痛みを何とかしてください」とお願いしますが「今痛みをなくしちゃったら診断付かないから、もうちょっと頑張ってね!」と言われたので頑張ります。ていうか単純に耐えます。どうやって何を頑張ればよかったんでしょうかね。

するとエコーを見ていたDr.が「あーこれはまず間違いないな」などと、周りのDr.にエコーを見せています。
「何でも良いから早く…」と思っていると
「今からね、造影CT撮りますんで、ご家族の連絡先教えてもらえませんか?」と言われたので
「ああ、CTなら私の同意で撮ってもらって結構です。今日から学校閉鎖なので、家に子供が三人もいるので、家内は無理だと思います。」と言うと、
「…えっとね、今エコーで見たところ、大動脈乖離といって、動脈が剥がれかかっている状況だと思うんです。造影CTを撮らないとハッキリしないんだけど、まず間違いないと思う。そうなったら、緊急手術とかしないとダメかもしれないから。」と言い切りよりました。

「あ、俺、死んだかも。」と思いつつ、家内の連絡先を教え、造影CTに向かいます。

CT撮影してもらうのは初めてなのですが、かなり素早く撮れるものなのですね!1枚?5秒程度で撮影は終わってしまいます。
造影剤も色々とあちこちルート取っているなかのどこからか(どこかは分かりません。動脈血とかも取っていたようですが、心窩部と足が痛くてルートを取る感覚などほとんど分かりませんでした。)「ちょっと体が熱くなりますよ」と言いつつ造影剤を流すとサァっと体が熱くなり、その状態で5秒で終了、です。
(造影剤が冷たいとショックなど危険な状況が考えられるので、想定体温よりも上の温度、例えば45度以上に設定してあるのかな?と思います。)

そして造影CTを見たDr.いわく「あれ?」
「う~ん、違いました、大丈夫だと思います。」
よかった…じゃあ何だ?
「先生、心窩部と足がたまらなく痛いのですが。」
「う~ん、まぁ足は命にはかかわらないから、心窩部の方からね。おなかパンパンだし、内科のほうに診てもらいますね。」とここで循環器Dr.退場、内科Dr.登場です。
その間、1時間ほど待ち時間があったので、循環器のDr.の許可を貰って血圧を下げた上で(高かった180/110以上)、鎮痛剤を入れてもらいます。
「これちょっと眠くなりますよ~癖になると困るからあまり使えないんだけど。」って麻薬か?まー痛みさえ取れれば何でも良いんですけど、これは劇的に効き、ちょっとウトっとしました。

内科Dr.によれば「おなかにガスがたまっているのでイレウスかも知れない。」「とりあえず絶飲絶食で、足は整形に診てもらいましょう。」との方針で行くとのこと、このときより緊急入院と相成りました。

しかしながら、鎮痛剤が効いているときは良いのですが、しばらくするとまた痛みがぶり返してきます。
「痛み止めをお願いします!」
「いやでも、痛み止めは6時間は打てないから。」
「前からどのぐらい経ったのですか?」
「3時間ぐらいですかねぇ。」
と、この日は全く準備も無かったので、もちろん時計もなく、時間の感覚がまったく無い中を6時間ごとの痛み止めを心待ちにする、ただしその6時間まであと6時間あるのか?6分なのか?全く分からないという状況で1日を過ごしました。
痛みによる完全徹夜2夜目です。

ただ、翌朝火曜日になると心窩部の痛みはかなり引いてきており、呼吸も何とか普通に出来るようになっていました。

そしてここでようやく家族より時計、ラジオ、着替えそしてiPhone(これが一番助かった!)の補給を受けます。

この日も血液検査、腹部単純X-Pなどの検査が続きますが、やはり確定診断が出ません。

整形も受診しますが、この時点で膝から下は激痛があることと、完全に運動麻痺しており、動かすことが出来ない状況でした。(股関節は動くのですが車椅子のフットレストからずり落ちた踵を1センチ持ち上げることが出来ない状況でした。股関節動いても、膝から下が動かないと足って全然動かないものなんですねぇ。)
X-Pを一通り撮影しますが、無論、外傷などあるわけも無く、ヘルニアも否定。
すると整形「う~ん、そうなると、脊椎へのウイルス感染とか…ギラン・バレーとかそういうのしか考えられませんねぇ。でもこんなに急に麻痺と激痛が来るかなぁ?まぁMRIの予約入れておきます。」とここでも、いったん診断保留です。

また、この日は「前の痛み止めはきついから」と筋注の痛み止めをうってもらいますが、これがまた全く無効。
心窩部の痛みは引きつつありますが、足の痛みは相変わらずの激痛で、痛みによる完全徹夜3日目を迎えます。
ちなみに、「痛くて寝れないのでシンドイです。」との訴えに、睡眠薬の点滴を入れてもらいますが、激痛で寝れるわけないだろ、麻薬でも何でも良いから痛み取ってくれ!って感じでした。

そして翌水曜日、イレウスの原因を探るべく、大腸鏡検査を受けます。
ここでも異常は無く、痛みの原因不明のまま推移するのですが、この大腸鏡検査でかなり大腸洗浄をしてもらったらしく、これを機に心窩部の痛みが劇的に和らぎます。

それに伴い、足の痛みもやや引き、麻痺も多少解消されてきました。
私「あ…れ…?かなりましになってきました。」
Dr.「う~ん、おなかが張って圧迫して痛みがあって、足のほうは関連痛だったのかもしれませんねぇ。」
私「運動麻痺を伴う?」
Dr.「う~ん?」
私「…。」
Dr.「まぁ大腸のほうは問題ありませんでした。もしかするとウイルス性腸炎とかだったのかもしれません、今更ですが、便のウイルス検査をしましょうか。」
私「好中球が増えてリンパが減少するウイルス性疾患すか?CRPも入院時にちょいと上がってすぐ下がってますけど…。」
Dr.「よーわかりませんね。」
私「詐病が一番しっくり来ますね。」
と、この時点で冗談を言えるほどに急激に回復していました。

この夜は久々に(昨夜全く効かなかった睡眠剤も効いて)3日ぶりに3-4時間ほど眠り、かなり体力も回復したように思います。

翌朝木曜日、今まで尿瓶だった排尿も自力で歩いて行けるようになり「あれ?何だったんだ?」と思えるほどの回復を見せ、ついに水の摂取も許されました。

この日以降に歯科医師会の方々のお見舞いを受けましたが、タイミング的に非常に良かったな…と思います。水曜日以前だと正直、お見舞いを受ける状況になかったかと思います。

あとは整形を受診して「アレッ?歩けてますね?」「ますねー。」「…MRIも異常なかったです。」(MRIって魚雷室のような狭い中で凄い騒音下、25分もかかるんですね…ありゃあ、コドモとか無理では?)というやり取りがあったり、入院1週間経過で食事が開始されたけど胃が縮んでほとんど食べられなかったり、刻み食が異常に食べにくくてビックリしたり(刻んであるので口に入れた瞬間、一瞬で歯の間などに詰まる。まぁお好み焼きにかける海苔をスプーン一杯口に含んでみたら、刻んであるから食べやすいという幻想は一瞬で消失すると思う。そんな感じ。)、元気になったら暇でしょうがなかったり、色々とあったというか無かったような感じで入院10日が過ぎ去り、退院と相成りました。

その後、帰宅してからは相変わらず残る足の痛みと(関連痛だけが長く残るってあるのか?)、足腰の衰えに悩まされつつ、自宅療養をしばらく行い、現在、ボチボチと社会復帰に向けて活動中、という状況であります。

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