ピーター・ドラッカー
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本名、Peter Ferdinand Drucker。ハンガリー・オーストリア帝国時代のウィーンに生まれる。1909年生まれ2005年没。
日経新聞の私の履歴書によると、「私には引退という言葉はない」と述べており、まさに晩年まで現役として活躍した。
ドラッカーが体系化したもの・ドラッカーによる造語
一般的には、マネジメントの発明家と呼ばれるが、本人は「社会生態学者」と自認している。ドラッカーが体系化したもの、ドラッカーの造語には次のようなものがある。
体系化
- マネジメント
- イノベーション
- 技術史・イノベーション史
- 社会主義・・ナチスへの洞察、”米国こそ史上初の社会主義国家である。”
- 知識労働者・知識社会(ナレッジマネジメント)
- 起業家・NPO
造語
- 分権化・・「会社という概念」
- 経営コンサルタント・・マッキンゼーへの助言
- 民営化・・「断絶の時代」
交流のあった人物
多彩な人脈に圧倒される。少年期の交流は、父アドルフが財務省高官であったため、自宅が政治家・学者・銀行家たちのサロンとなっていたためである。
オーストリア時代(1909~1927)
- トマーシュ・マサリク(1850-1937)チェコスロバキア初代大統領
- ジークムント・フロイト(1856-1939)精神分析学者
- ヨーゼフ・シュンペーター(1883-1950)経済学者
- カール・ポランニー(1886-1964) 経済人類学創設、マイケル・ポランニーの兄
- ヤン・マサリク(1886-1948) チェコ亡命政府外務大臣
- フリードリヒ・フォン・ハイエク(1899-1992)経済学者
ドイツ時代(1927~1933)
- アドルフ・ヒトラー(1889-1945)ナチスドイツ総統
- ヨーゼフ・ゲッベルス(1897-1945)ナチスドイツ首相
イギリス時代(1933-1937)
- ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)経済学者、講義を聴く
アメリカ時代(1937-2005)
- アルフレッド・スローン(1875-1966)GM社長、事業部制、計画的陳腐化
- ドナルドソン・ブラウン(1885-1965) GM副社長、ROIを導入
- ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881-1973)経済学者、NY大学教授
- エドワーズ・デミング(1900-1993)NY大学教授、品質管理
- マービン・バウワー(1903-2003)マッキンゼー
- ヘンリー・フォード二世(1917-1987)フォード社長
- ジャック・ウェルチ(1935-)GE CEO
- アンドルー・グローヴ(1936-)インテル共同創業者
知日派
知日派としても知られる。
日本画
1933年ロンドンで開催されていた日本画展で日本画に魅せられ、日本画を収集していた。後にクレアモント大学では日本画の講義を受け持っていた。
1959年初来日は、日本事務能率協会からの招待だったが、日本画見たさという動機からでもあった。
交流のあった日本人
- 立石一真(1900-1991)オムロン創業者
- 小林宏治(1907-1996)NEC社長
- 盛田昭夫(1921-1999) ソニー共同創業者
- 中内功(1922-2005) ダイエー創業者
- 伊藤雅俊(1924-) イトーヨーカ堂創業者
ドラッカーの著作の日本語訳を手がける上田惇生とは親交は深い。晩年の「はじめて読むドラッカー」4部作は、上田がプロデュースに参加しており、日本で最初に出版された。
略歴
1909年、オーストリア・ウィーン生まれ
1927年、ドイツ・ハンブルグへ、後にフランクフルトへ(1929年)
1930年、フランクフルト夕刊紙で記者としてデビュー
1933年、ナチス迫害を逃れ、ドイツからイギリスへ移住
1937年、ドリスシュミットと結婚、後に4人の子供をもうける
1937年、アメリカに移住
1939年、処女作「経済人の終わり」出版
1942年、ベニントン大学教授
1946年、GM研究の成果「会社という概念」出版、分権制を提唱
1949年、ニューヨーク大学教授
1950年、GM CEOチャールズ・ウィルソンと協力しGMの企業年金基金創設
1954年、「現代の経営」出版、マネジメントの体系化
1959年、初来日
1963年、「日本は二度目の奇跡を目指す」ハーパーズ・マガジン
1966年、勳三等瑞宝章授与
1969年、「断絶の時代」、民営化
1971年、クレアモント大学へ
1973年、「マネジメント」出版、マネジメント研究の集大成
1976年、「見えざる革命」出版、米国こそ史上初の社会主義国家である。
1985年、「イノベーションと起業家精神」出版
1993年、「ポスト資本主義社会」出版
1999年、「明日を支配するもの」出版、ビジネスの前提が変わった
2000年、「はじめて読むドラッカー」シリーズ
2005年2月、日経新聞、私の履歴書
2005年11月、永眠
関連リンク
主な出典
ドラッカー20世紀を生きて―私の履歴書 (私の履歴書)
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