枝を伐って根を枯らすの最新の日記
東京へ遊びに行くことも
何時の頃であったか、多分その翌年頃の夏であったろう、その年重にお島の手に委されてあった、僅二枚ばかりの蚕が、上蔟するに間のない或日、養父とごたごたした物言の揚句、養母は着物などを着替えて、ぶらりと何処かへ出ていって了った。
養母はその時、青柳にその時々に貸した金のことについて、養父から不足を言われたのが、気に障わったと云って、大声をたてて良人に喰ってかかった。話の調子の低いのが天性である養父は、嵩にかかって言募って来るおとらの為めに遣込められて、終には宥めるように辞を和げたが、矢張いつまでもぐずぐず言っていた。
「ちっと昔しを考えて見るが可いんだ。お前さんだって好いことばかりもしていないだろう。旧を洗ってみた日には、余り大きな顔をして表を歩けた義理でもないじゃないか」
養蚕室にあてた例の薄暗い八畳で、給桑に働いていたお島は、甲高なその声を洩聞くと、胸がどきりとするようであった。お島は直に六部のことを思出さずにいられなかった。ぶすぶす言っている哀れな養父の声も途断れ途断れに聞えた。
青柳に貸した金の額は、お島にはよくは判らなかったが、家の普請に幾分用立てた金を初めとして、ちょいちょい持っていった金は少い額ではないらしかった。
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