新しい公共
新しい公共(New Public)は、政府ではなく市民自身やNPOが主体となって公共サービスを市民に提供するもので、英米を中心に社会的に成熟した先進国において議論されてきた考え方。より良い公共サービスを受けることをゴールとした場合、これを行政に求め、行政批判を繰り返してもゴールに近づけず、サービスを受ける市民・国民自身、又は国民個人が形成したNPOなどの団体が、ボランティアや社会起業を行って、公共サービスを提供することが合理的との発想に基づく。
歴史的には、先進国の経済成長が鈍化する中、財政状況が軒並み悪化し、経済活力を失わず福祉国家を維持するためには、新しい公共による自発的な活動が不可欠となってきたとも言える。
日本における新しい公共として、以下3段落、Wikipediaの本日現在の記述「日本における新しい公共」を引用する。
象徴的なものとして、京町衆が挙げられる。日本初の小学校である京都市の番組小学校は、公共の担い手として地域の商店主など町衆が大半の額を寄進をし、建設が行われた。当時の番組小学校には現在の警察署のような機能もあり、新しい公共の拠点であった。京都市中京区の京都国際マンガミュージアムは、番組小学校であった旧・龍池小学校の校舎を再利用したもので、小学校からミュージアムの改修に際しても京町衆からの出資があり、新しい公共の機能を未だに保っている。
京都市は様々な政策名で新しい公共を推進してきた。門川大作・現京都市長も、政令指定都市としては最も多くの審議会の委員を公募で選任している他、「京都市未来まちづくり100人委員会」「未来の担い手・若者会議U35」など新しい公共のための専門家でない市民が主体の審議会も設置している。横浜市など、様々な自治体がこのような新しい公共の拡大に追随している。
新しい公共はそもそも、全く新規の概念ではなく、日本にみる自治的に消防団や自警団などもこの担い手である。日本には、地域コミュニティの運営に古くより機能している新しい公共の仕組みが数多くあり、「コミュニティに力のある国」としてWHOにも注目されている。
そもそも「アイスクリームの歌」にあるように「僕は王子ではないけれどアイスクリームを召し上がる」ことができるようになる産業革命以前は、人類の大半は貧困にあり、人々は小さな街に寄り添うように助け合って生きていた。その街や国のリーダーになるためには、自ずと人々を助ける財力と人々を外敵から守る軍事力が必要となる。
これは古代ローマ時代でも同じで、有力者又はこれから有力者になろうとする者は、進んで私財を投げ打って大理石で舗装し馬車が高速で移動できるローマ街道を整備したり、神殿、公会堂、浴場、図書館など公共建築物を建設し、そこに自らの名前を刻んだ。ローマ帝国においても、有力者の中で最も有力な最高権力者である皇帝は、ローマ市民に「パンとサーカス」を与えつつ、強大な軍事力で帝国の汎領を防衛・拡大した。
国民一人当たりが受けるべき富が最大に膨らんだ先進国では、世界経済における成長源が新興市場国に移り、一人当たりのパイが少なくなっていくことが予想される。その中で、往時に受けていた公共サービスを維持・増進させるためにも、国民自身が提供し合う、新たに助け合う必要性に迫られてきたとも言えよう。
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