梅雨空の晴間
今週14日辺りから東京も梅雨入りして、連日しとしとと雨が降り続き、21日の夏至に近づいて蒸し暑くなってきている。5月の新緑、若葉の清々しい季節が懐かしくなるが、私の家のベランダのシマトネリコの新芽が一雨ごとにぐんぐん伸びて、新緑の黄金色に近い黄緑から緑が濃くなり、さらに背丈も伸びていくのが分かる。
ガラス戸を開けると、しとしと、時にざっざと降りしきる雨音以外に、子供のはしゃぎ声、井戸端会議の声、車の通る音、風の音、そしてシマトネリコなどの新芽が伸びていく音・・・が一気に聴こえる。そして、雨のにおい、雨を吸った大地のにおい、新芽のにおい・・・が立ち込めてくる。こうして雨の中に自分を座らせると、すって、はいて・・・人々と、草木と、雨や風とともに、生きている実感、肩肘を張らずに次なる一歩を踏み出せる勇気や希望が湧いてくる。
梅雨の晴間は、そんな中、突然やってくる。ひまわりの衛星写真も、天気予報も、枕元の晴雨計も予期せぬときにやってくる。厚い雲間から一筋の光が舞い降り、それが辺りを照らし、私のベランダのシマトネリコの葉脈を透かし、したたる雫を輝かせ、雨を吸った大地や新芽のにおいをむんむんと立ち込めさせる。人々と、草木と、雨や風とともに、生かされている実感、雨の日があっても必ず陽光で包み込んでくれる安心感・安堵感が湧いてくる。
梅雨時は雨垂れとともに、地中海のような晴天時は陽光とともに、草木や風雨を心に沁み入らせ、人々と心通わせる至福のときとなった。皆さんも、こうした経験があるのではないか。いいものですよね、ほんとうに。
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